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夜ノ森駅(よのもりえき)は、福島県双葉郡富岡町字夜の森北一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。 2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および福島第一原子力発電所事故により休止中である。 == 歴史 == 日本鉄道の基本計画は富岡小良ケ浜から熊町(大熊町熊)を通って大野へ接続する路線が計画された。その後、熊町村民から鉄道が通ると米がとれなくなるという反対運動が起きる。そこで当時、上岡村(現富岡町夜ノ森)の有志一同が夜ノ森駅開設のための誘致運動を展開する。その中心となって請願運動をしたのが但野芳蔵〔但野芳蔵翁伝 富岡町教育委員会〕であり、芳蔵は有志数人をつれて度々、鉄道省水戸局に請願に赴いている。駅の設置で一番の問題となったのが工費の負担と蒸気機関車への水の供給である。芳蔵は富岡川から熊川の範囲を自費で建設することと水を供給する井戸(現夜ノ森駅駐輪場)、機関車に水を提供するための引込み線の提供を承諾し夜ノ森駅の建設の承諾をとりつける。芳蔵が提供した人夫は1日1000人であった。当時、上岡村での水の確保は難しく水確保のため村民が喧嘩するとこもたびたびあった。そにで水確保のためにつくられたのが「荻の堤」である。 川内村から産出される木材を輸送するために、当駅開業前までは、富岡駅まで運ぶ必要があった。このため、夜の森周辺に住む住民等によって、1907年(明治40年)頃からおおよそ2年に渡り、駅設置の請願がなされた〔富岡町史編纂委員会、「富岡町史 第一巻 通史」、富岡町、1988年、929頁〕。あわせて、当地の憲政会代議士であった半谷清壽の助力もあり、駅敷地の寄付などの五条件を満たすことにより、当地への駅設置が許可された。 当初、誘致活動に熱心であった半谷清壽は夜ノ森駅の道路建設に際して但野芳蔵と対立し夜ノ森駅開発から完全に手をひく。大正11年には夜ノ森駅開設に関わり殉職された方々のために慰霊祭が模様された。但野芳蔵の功績は夜ノ森駅駐車場に建てられた顕彰碑に刻まれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夜ノ森駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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