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「夜明けを告げに」(よあけをつげに)は、1971年10月5日に発売されたオフコース(当時の表記はジ・オフ・コース)通算2枚目のシングル。 == 解説 == 地主道夫が抜けた後、小田和正と鈴木康博の2人となったジ・オフ・コースが聖光学院の後輩だった小林和行をサポートメンバーとして加えて発表したシングル。ディレクターは当時“ボン・ミュージック”(音楽出版)所属の梅垣達志。以前からヤマハと関わりのあった梅垣は、偶然聴いたオフコースのデモテープにフォークとは違う今までにない音楽を感じて、彼らをプロの道に入れる。編曲は当時エキスプレス・レーベルの作品で多くのアレンジを手がけ、のちにデビュー・アルバム『僕の贈りもの』〔『僕の贈りもの』 1973年6月5日発売 EXPRESS ⁄ 東芝音楽工業 LP:ETP-8258〕でストリングスアレンジを担当する青木望。シングルのリリース直前、“パシフィック・エンタープライズ”への所属が決まり、彼らはプロとしての一歩を踏み出した。プロ入りと同時期に加入した小林は高校時代からオフコースを応援し、赤い鳥とのジョイント・コンサート“8人の音楽会”〔「8人の音楽会」 1970年11月14日 大手町サンケイホール〕スタッフでもあった。小田 • 鈴木からの誘いは「ベースだけ弾いてりゃいいから、やろうよ」という気軽なものだったという。そして鈴木はベースをギターに持ち替え、オフコースは以前と同じ編成で活動を続けることになった。 「夜明けを告げに」は、ヒットを狙ってレコード会社が用意した加藤和彦作曲による作品。演奏はギターとベースをオフコースが担当している。この頃は小田、鈴木とも、他人の曲でも気に入ったら取り上げていこうという姿勢だったと、後に小田はインタビューで答えている。 プロとして1枚目のシングル制作にあたり梅垣は、オフコースと専門家の両方が曲を作り、その上で検討という形をとりたいと思った。しかし、当時24歳でまだ駆け出しのディレクターだった梅垣にとって、著名な作曲家に依頼してできた曲がイメージに合わなかった場合、簡単には断れない状況も想像できた。そこで思いついたのが、関西にいた頃の友人だった加藤和彦。早速彼にオフコースの演奏テープを渡し、作曲を依頼した。梅垣は「加藤君が作ったのはアップテンポの軽快な曲で、小田君のはメロディーのきれいな曲だった。僕は元々“その線”のオフコースに惚れ込んだわけだし、小田君の曲は気に入ったの。でも難しすぎるんですよ。転調はするしコード進行は難解だし、大作なの。で、手を加えて簡単にしようかとも思ったけど、明るい感じのほうが良いってことで、加藤君のをA面にしました。でも小田君の曲は、青木望さんにアレンジをお願いしたらますます大作になって、良い曲でしたよ」と、後に語っていた。 「美しい世界」は、初めてレコードになった小田のオリジナル作品。当初小田がつけた「このひとときを大切にして」というタイトルは、レコード会社の意見で変更になった〔。一般には初めてのオリジナル曲とされている「僕の贈りもの」〔「僕の贈りもの」 1973年2月20日発売 EXPRESS ⁄ 東芝音楽工業 EP:ETP-2809〕よりも2年前に発表された。 両曲とも第3回オフコース・リサイタル“明日への歩み”〔「明日への歩み」 1974年5月7日 日本青年館大ホール〕で演奏されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夜明けを告げに」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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