|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 夢 : [ゆめ] 【名詞】 1. dream
『夢のビッグスタジオ』(ゆめのビッグスタジオ)は、1982年4月8日から同年5月27日までテレビ朝日系列局で放送されていたテレビ朝日製作の歌謡番組である。全8回。放送時間は毎週木曜 22:00 - 22:54 (日本標準時)。 == 概要 == 当時木曜21時台に放送され、怪物的視聴率を誇っていたTBSの『ザ・ベストテン』への対抗番組として放送。司会を務めていたのはタモリと西田敏行で、タモリが主に番組全体の進行役を担当し、西田が自身の持ち味を生かしたコーナーを担当するという形を取っていた。 番組は、スタジオ内に作られたタモリ家のサロンに当日出演の歌手やゲストを迎え、ホームパーティー風のくつろいだ雰囲気の中で進められた。また、毎回目玉となる企画も織り込んでいた〔。第1回の出演者は、美空ひばり、沢田研二、郷ひろみ、松田聖子、近藤真彦、シャネルズ、ピエール・ポルト、イモ欽トリオら〔。 『ザ・ベストテン』と同じく生放送を行っていたが、当初から西田のスケジュールが合わず、西田の出演コーナーのみをVTR収録にして凌いでいた〔。また、タモリの司会も若い歌手と噛み合わずに不協和音が出て、結果視聴率は6.7%と『ザ・ベストテン』の2割もない数字を出して低迷した〔。テコ入れで、古舘伊知郎(当時テレビ朝日アナウンサー)がタモリと司会を務める形になったが、視聴率の低迷により、テレビ朝日が担当プロデューサーである皇達也の更迭を決定すると、タモリが「局がプロデューサーを更迭するのに、メインの出演者が居座るなんて出来ない」と引責辞職を表明し、西田・古舘と共に6回で番組を降板した〔。 タモリの行動は、当時のマスメディアに美談として取り上げられた〔。あわてた局側は佐々木正洋(テレビ朝日アナウンサー)と南美希子(当時テレビ朝日アナウンサー)の2人に司会をさせて急場を凌いだが、結局8回で打ち切ることになった〔。 これにより、テレビ朝日はこの時間帯で国産ドラマ『新・海峡物語』、海外ドラマ『ダラス 愛と憎しみの二重奏』(木曜21:00枠から移動・改題)、そして本番組と打ち切り番組を連発させてしまい、局にとっては痛い結果となった。また、、それも報われない結果となった。 その後同時間帯では、土居まさるとあべ静江が司会を務める『木曜ヒットショー』が同年秋までのつなぎ番組としてスタートした。 またタモリは1987年から「ミュージックステーション」2代目MCとして音楽番組の司会に復帰、こちらは2016年現在も継続中である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「夢のビッグスタジオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|