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『大いなる助走』(おおいなるじょそう)は、筒井康隆による日本の小説。『別册文藝春秋』(文藝春秋)にて1977年9月から1978年12月(141号 - 146号)まで連載された。1979年に刊行され、2005年に新装版が刊行された。 1989年に『文学賞殺人事件 大いなる助走』のタイトルで佐藤浩市主演で映画化され、第100回芥川賞・直木賞に合わせて公開された〔筒井康隆「Xデーの大阪にマスコミがやってきた」『笑犬樓よりの眺望』 新潮社、1994年5月、234頁。ISBN 4-10-314522-6。〕。 == 概要 == 1923年(大正12年)に芥川龍之介が発表した「不思議な島」、1937年(昭和12年)に太宰治が発表した「創生記」など、文壇を風刺した作品はあったが、二作とも内輪話の域を出ず、規模の大きさと表現の多様さにおいては本作に及ばず、戦後高度成長期の文学と文壇の巨大化と地域化、その腐敗について書かれた記録碑作品といえる〔。 直廾賞という架空の文学賞ではあるものの、その名は明らかに直木賞を連想させ〔他にも、『文学海』=文學界、『フール読物』=オール讀物、初潮社=新潮社、角丸書店=角川書店、光談社=講談社、中旺公論=中央公論社、朝目新聞=朝日新聞、料亭・金喜楽=新喜楽などが登場する。〕、直木賞を揶揄し、実在の選考委員を思わせる登場人物を醜悪に描き、賞を落選した主人公が選考委員を殺して回る小説が、直木賞を主催する文藝春秋の『別册文藝春秋』で連載されたことは連載途中から話題を呼び、小学館『週刊ポスト』(1978年7月28日・8月4日合併号)では特集まで組まれた。文壇の裏話や、地方都市の同人雑誌の状況などが戯画化された本作は、世間に衝撃を与えると共に、面白おかしい痛快な喜劇小説としても読まれ、直木賞に3度ノミネートされたものの〔「ベトナム観光公社」(第58回・1967年下期)、「アフリカの爆弾」(第59回・1968年上期)、『家族八景』(第67回・1972年上期)の3度。「アフリカの爆弾」では、選考委員の松本清張が「ただ一作、これが受賞作と決まっても不満はなかった」と述べ、筒井の才能を認める声は多かったが、「直木賞は文学作品にあたえたい」と述べた源氏鶏太など、反対する意見もあり、結局受賞作なしという結果に終わった。〕、結局受賞は叶わなかった経歴がある筒井が私怨を晴らしたなどとも言われた。〔段落の出典:大岡昇平「解説―文壇のカリカチュア」 『大いなる助走』 350-356頁。〕 本作の連載が始まった後、受賞作なしという結果に終わった第78回直木賞に冒険SF小説『火神(アグニ)を盗め』でノミネートされていた山田正紀に関して、日記を連載していた『面白半分』で「山田正紀の落選は、正紀にとってではなく、選考委員諸作家にとって、非常にまずいことになるだろう。なんちゃって。」〔筒井康隆『腹立半分日記』1979年、実業之日本社、昭和53年1月18日の項〕と、まるで自らの小説になぞらえるようなことを書き、これ以降本作の展開はより大胆になっていった。 連載中には、モデルにされた選考委員のひとりが大きな唇で「あの連載をやめさせろ」と『別册文藝春秋』の編集部に怒鳴り込んできたエピソードなどは、エッセイなどで何度も書いたという〔筒井康隆 「新装版のためのあとがき」『大いなる助走』357-360頁。〕。 後に筒井は、「もし直木賞を貰っていたら作家としての成長がとまっていただろうということは、ほぼ明確なので、むしろ貰わなかったことを感謝している」「面白いものを書こうという意識のみあり、恨みつらみを晴らそうなどとは考えていなかった」本作を書いていた時も「落選した際の気持ちがなかなか思い出せなかった」と回想している〔筒井康隆 「殺さば殺せ、三島賞選考委員の覚悟」『笑犬樓よりの眺望』 新潮社、203頁。〕。一方で、その後の筒井の活躍も相まって、世間が直木賞を見る目が変わり、それは直木賞のみならず文学賞全般に及んだ〔川口則弘 『直木賞物語』 バジリコ、2014年、264-268頁。ISBN 978-4862382061。〕。 また大岡昇平は、1820年代の王政復古期を舞台に、田舎から上京した美貌の詩人ルュシアン・ド・ルュバンブレの文学生活を描き出したオノレ・ド・バルザックの長編『幻滅』と本作とを比している。当の大岡は、『幻滅』の規模で文壇を書きたいという野心を持ちながら、体調が思わしくなく執筆を諦め、批評家が死ぬ推理小説を書いたが、その時期が本作の出版された頃と同じで、非常に落胆し、羨望の念すら抱いているという〔。 本作の新装版が出版された2005年には、筒井自身が文学賞の選考委員を務める身となっており、自身が書いた内容がブーメランのように返ってくるのを実感しているという。筒井と同時に直木賞候補になり受賞した井上ひさしは、選考委員を務める新人文学賞の選考会で「この人に受賞させないと、『筒井康隆に直木賞をやらなかった』ようなことになる」などと発言したという〔。 筒井が平成版『大いなる助走』として『文學界』で連載した「巨船ベラス・レトラス」では、本作以後の文壇の変化を盛り込みながら、出版不況や文学の衰退を中心とした、現代の文学界の様々な問題が論じられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大いなる助走」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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