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『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(ゴジラ・エビラ・モスラ なんかいのだいけっとう)は、1966年(昭和41年)12月17日に公開された日本映画で、「ゴジラシリーズ」の第7作である。初回興行時の観客動員数は345万人。製作は東宝、併映は『これが青春だ!』。 == 解説 == 本作の公開年である1966年(昭和41年)5月、東宝は『キングコング対ゴジラ』(1962年、本多猪四郎監督)製作の際にアメリカのRKO社から取得した「キングコング」の5年間分のキャラクター使用権を活用してもう1本「キングコング映画」を製作しようと、南海の孤島を舞台にキングコング、エビラ、モスラの3大怪獣の登場する特撮映画『ロビンソン・クルーソー作戦 キングコング対エビラ』を企画する。監督には福田純を予定し、関沢新一によって脚本化されたが、アメリカ側が内容に難色を示したため、この企画は仕切り直されることとなり、より合作色の強い『キングコングの逆襲』(1967年、本多猪四郎監督)として翌年に制作されることとなった。 一方、不採用となった『キングコング対エビラ』の脚本は、主役のキングコングをゴジラに置き代え、「ゴジラシリーズ」の一編として再利用されることとなり、本作が製作された。本作におけるゴジラが『キングコング対ゴジラ』のキングコングに近く陽気な性格(美女に好意を持つ、「若大将シリーズ」における加山雄三を真似て得意気に鼻をこする〔中島春雄いわく、この仕草は特技監督の円谷の指示による。〕など)になっていたり、落雷を浴びて復活する描写が見受けられるのは、この経緯による〔〔。 島の娘ダヨには、内藤洋子や酒井和歌子に続く1966年のホープ・高橋紀子が起用され、撮影も開始されたが〔洋泉社刊『東宝特撮女優大全集』やヴィレッジブックス『東宝特撮映画大全集』には、原住民の衣装をまとった高橋に演技指導する福田純のスナップが掲載されている。〕、彼女は急性虫垂炎で入院してしまう。そこで、「ゴジラ映画なら……」と急遽水野久美が代役を務めることになり、当時29歳の水野が19歳の高橋を想定して書かれたシナリオのままに演じている。また、『モスラ』(1961年)以来ザ・ピーナッツが演じてきた小美人は、本作では彼女たちと同様に双子タレントであるペア・バンビに交代している。 本編監督や音楽担当も、それまでの「ゴジラシリーズ」の主軸を務めた本多猪四郎から福田純へ、伊福部昭から佐藤勝へ変わり、作風もそれまでの重厚なものから軽快なものへ変わっている。 キャスティングも「眼帯をつけた平田昭彦〔平田が演じた第1作『ゴジラ』(1954年、本多猪四郎監督)の芹沢大助博士のセルフパロディとなっている。また、「善悪反転」という意味合いを強調するため、芹沢博士は右眼、竜尉隊長は左眼と、眼帯の位置を逆にしている。〕」「田崎潤の司令官」など、それまでの作品とは善悪が逆転したパロディ的な要素が見受けられる。特に平田は、それまで「怪獣や宇宙人と心中する〔『ゴジラ』(1954年)の芹沢大助や『地球防衛軍』(1957年)の白石亮一。〕」ことはあっても決して「怪獣に殺される」ことは無かったが、本作では「エビラのハサミによって船もろとも海に沈められる」という、ファンの意表を突く死に様を演じて見せた。ラストのレッチ島崩壊シーンは『大冒険』(1965年、古澤憲吾監督)の流用である。 当初、東宝の国際部では本作に『EBIRAH 〜HORROR OF THE DEEP〜(エビラ・深海の恐怖)』という英語タイトルを付けて世界各国へ売り込んだが、アメリカでは『Godzilla vs. the Sea Monster(ゴジラ対海の怪物)』の題名で公開された。タイトルクレジットが全て英語に変更され〔この際、佐藤勝は "MASARU SATO" となるところが "MARARU SATO" と誤記されている。〕、台詞もすべて英語にアフレコし直されている。英語版の演出は、ピーター・フェルナンデスが担当した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Godzilla vs. the Sea Monster 」があります。 スポンサード リンク
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