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大アナスタシア[あなすたしや]
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大アナスタシア[あなすたしや]
アナスタシア(アナスタシヤ)は4世紀のキリスト教信者、殉教者(致命者)。カトリック教会、正教会などの伝統的教会で聖人。他のアナスタシアと区別して、聖大アナスタシア等、シルミウムのアナスタシアと呼ばれる。正教会での称号は聖大致命女解繋者アナスタシヤ〔日本ハリストス正教会『正教会暦』2008年版では「聖致命者解繋者」、日本ハリストス正教会『正教時報』1992年1月号では「大致命女」となっている。ここでは基本的に前者に則りつつ、女性の致命者には致命女の訳語を当てる日本正教会の慣例に則った表記をとった。〕。 カトリック教会など西方教会では、12月25日が記念日とされ、クリスマスの早朝ミサで記憶される〔"St. Anastasia", ''Cathoric Encyclopedia''.〕。正教会では、12月22日(ユリウス暦を使用する正教会では1月4日に相当)を記憶日とする。 ==生涯== 伝承によれば、アナスタシアはシルミウム(現在のセルビア共和国スレムスカ・ミトロヴィツァ)の富裕なローマ貴族の家に生まれた。父は異教徒、母はキリスト教徒だった。キリスト教徒の教師について学芸を修め、深くキリスト教に傾倒した。アナスタシアは貧者や病者への慈善に熱心で、多くの施しをなした。父の意向で、やむなく裕福な異教徒と結婚したが、夫はキリスト教に理解を示さず、アナスタシアが貧者に施しを行う事を嫌った。アナスタシアは夫に慈善活動を行うことを禁じられて苦悩した。しかし夫は早死にし、アナスタシアは莫大な遺産を相続した。その後、アナスタシアは、自分の財産をもって貧者に奉仕することを自らの務めと思い定めた。アナスタシアは、牢獄にいたキリスト教徒にとくに援助を行い、そこから「解繋者」の称がある。 ディオクレティアヌス帝の治世下でキリスト教への迫害がなされたとき、アナスタシアは投獄された他の信者を見舞うなどして励ましたが、牢獄を訪問した際に、キリスト教徒であることが露見し、自身もついに信仰のため死罪とされ、殉教した。死罪とされたのは、その当時独身だったアナスタシアの財産をローマの役人が没収することを図ったためとも伝える。ある伝承によれば、アナスタシアは、はじめ餓死刑を宣告され30日間の絶食を二度課せられたが死なず、次に湖での溺死刑を宣告され、小船で他の死刑囚とともに湖の中央へ連れ出された。しかし奇跡により船を沈めるために穴が開けられても船は沈まなかった。そのため、陸にふたたび引き上げられ、あらためて焼死刑に処されたとされる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大アナスタシア」の詳細全文を読む
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