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プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・マイヨル(, 紀元前236年 - 紀元前183年頃)は、共和政ローマ期の軍人、政治家。元老院議員。スキピオ・アフリカヌスと称され、妻の甥で義理の孫に当たるスキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ)と区別して大スキピオとも呼ばれる。第二次ポエニ戦争後期に活躍し、カルタゴの将軍ハンニバルをザマの戦いで破り戦争を終結させた。グラックス兄弟の外祖父にあたる。 == 生涯 == 以降の解説では、他のスキピオ家との人物との混乱を避けるために以下の呼称に統一する。 * 彼本人を「スキピオ」または「スキピオ・アフリカヌス」 * 父プブリウス・コルネリウス・スキピオを「父プブリウス」 * 兄ルキウス・コルネリウス・スキピオ(スキピオ・アシアティクス)を「兄ルキウス」もしくは「ルキウス」 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「スキピオ・アフリカヌス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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