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大ルーマニア主義 : ミニ英和和英辞書
大ルーマニア主義[ぎ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
主義 : [しゅぎ]
 【名詞】 1. doctrine 2. rule 3. principle 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 

大ルーマニア主義 ( リダイレクト:大ルーマニア ) : ウィキペディア日本語版
大ルーマニア[だいるーまにあ]

大ルーマニアルーマニア語:)は一般には第一次世界大戦第二次世界大戦の戦間期におけるルーマニアの領土範囲を示す用語で、このときルーマニアの領土は歴史上最大となった(295,649平方キロメートル)。
== 名前と意味 ==
この用語のルーマニア語での呼称は「'」である。この名称は第一次世界大戦以降、ルーマニア王国の領土が、ルーマニア人が多数派を占める全ての領域を包含するようになったことを表し、かつてトランシルヴァニアベッサラビアブコビナがルーマニアの領土に含まれていなかったことと対比される。これと同様の用語で「'」というものもあり、概ね「再統合されたルーマニア」という意味である。大ルーマニアはルーマニアの本来あるべき領土と見なされ、Tom Gallagherによると「ルーマニア民族主義の聖杯」とされた。
ウィーン裁定独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)によってルーマニアの領土であったトランシルヴァニア北部がハンガリー領となり、ベッサラビアおよび北ブコヴィナがソビエト連邦に占領された1940年以降、この用語は失地回復や民族統一主義の色彩を帯びるようになっていった。
現在、この用語はもっぱら民族主義的な意味合いで使用されるようになった。政治の世界の用語として、特に大ルーマニア党を意識してこの用語が持ち出されるとき、それは民族統一主義としての大ルーマニア主義を意味し、おおよその場合、第二次世界大戦によってソビエト連邦に奪われ、その後モルドバおよびウクライナ領となっているベッサラビアおよびブコビナ地方への関心を示すものである。

Image:Mihai 1600.png|ミハイ勇敢公の統治下でのルーマニアの3つの公国と統一された領域
Image:Rumânia văzută de Cezar Bolliac.jpg|1855年に急進的政治家チェーザル・ボリアック(Cezar Bolliac)によって描かれた仮想的なルーマニアの領域
Image:Romanians before WW1.jpg|1918年の領土獲得以前のルーマニア人の居住していた領域
Image:Romania Mare (judete si regiuni istorice).JPG|1926年以前の領土と歴史的な大ルーマニアの地域区分
」である。この名称は第一次世界大戦以降、ルーマニア王国の領土が、ルーマニア人が多数派を占める全ての領域を包含するようになったことを表し、かつてトランシルヴァニアベッサラビアブコビナがルーマニアの領土に含まれていなかったことと対比される。これと同様の用語で「'」というものもあり、概ね「再統合されたルーマニア」という意味である。大ルーマニアはルーマニアの本来あるべき領土と見なされ、Tom Gallagherによると「ルーマニア民族主義の聖杯」とされた。
ウィーン裁定独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)によってルーマニアの領土であったトランシルヴァニア北部がハンガリー領となり、ベッサラビアおよび北ブコヴィナがソビエト連邦に占領された1940年以降、この用語は失地回復や民族統一主義の色彩を帯びるようになっていった。
現在、この用語はもっぱら民族主義的な意味合いで使用されるようになった。政治の世界の用語として、特に大ルーマニア党を意識してこの用語が持ち出されるとき、それは民族統一主義としての大ルーマニア主義を意味し、おおよその場合、第二次世界大戦によってソビエト連邦に奪われ、その後モルドバおよびウクライナ領となっているベッサラビアおよびブコビナ地方への関心を示すものである。

Image:Mihai 1600.png|ミハイ勇敢公の統治下でのルーマニアの3つの公国と統一された領域
Image:Rumânia văzută de Cezar Bolliac.jpg|1855年に急進的政治家チェーザル・ボリアック(Cezar Bolliac)によって描かれた仮想的なルーマニアの領域
Image:Romanians before WW1.jpg|1918年の領土獲得以前のルーマニア人の居住していた領域
Image:Romania Mare (judete si regiuni istorice).JPG|1926年以前の領土と歴史的な大ルーマニアの地域区分
」というものもあり、概ね「再統合されたルーマニア」という意味である。大ルーマニアはルーマニアの本来あるべき領土と見なされ、Tom Gallagherによると「ルーマニア民族主義の聖杯」とされた。
ウィーン裁定独ソ不可侵条約(モロトフ=リッベントロップ協定)によってルーマニアの領土であったトランシルヴァニア北部がハンガリー領となり、ベッサラビアおよび北ブコヴィナがソビエト連邦に占領された1940年以降、この用語は失地回復や民族統一主義の色彩を帯びるようになっていった。
現在、この用語はもっぱら民族主義的な意味合いで使用されるようになった。政治の世界の用語として、特に大ルーマニア党を意識してこの用語が持ち出されるとき、それは民族統一主義としての大ルーマニア主義を意味し、おおよその場合、第二次世界大戦によってソビエト連邦に奪われ、その後モルドバおよびウクライナ領となっているベッサラビアおよびブコビナ地方への関心を示すものである。

Image:Mihai 1600.png|ミハイ勇敢公の統治下でのルーマニアの3つの公国と統一された領域
Image:Rumânia văzută de Cezar Bolliac.jpg|1855年に急進的政治家チェーザル・ボリアック(Cezar Bolliac)によって描かれた仮想的なルーマニアの領域
Image:Romanians before WW1.jpg|1918年の領土獲得以前のルーマニア人の居住していた領域
Image:Romania Mare (judete si regiuni istorice).JPG|1926年以前の領土と歴史的な大ルーマニアの地域区分


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大ルーマニア」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Greater Romania 」があります。




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