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大中臣 公隆(おおなかとみ の きんたか)は平安時代後期の貴族。伊勢神宮大宮司・大中臣公義の次男。官位は従五位上・伊勢守。 == 経歴 == 元永元年(1118年)6月8日、成功により伊勢神宮大宮司(第84代)に任ぜられる〔『式部省太政官符(元永元年6月8日)』(朝野群載所収)。〕〔但し、父公義の斎宮造営の功によるともいう(二所太神宮例文)。〕。当時の官位は散位従五位下で、在任6年であった。康和6年(1104年)や天永2年12月(1112年1月)にも大宮司に欠員が出た際に任官を望んでいるが認められなかった〔『中右記』康和6年正月26日条。〕〔『殿暦』天永2年12月26日条。〕。 大宮司在任中の動きとしては、保安2年(1121年)8月に伊勢国で起こった洪水で外宮(豊受大神宮)が浸水の害を受けた際、破損した天平瓮を作り改めて元のように安置するべきかどうかについて、祭主の大中臣親定とともに奏上したことなどが知られている〔『兼仲卿記』弘安11年2月9日条。〕。大宮司退任後は、長承元年(1132年)頃伊勢守に任ぜられたという。久安6年(1150年)7月6日卒去。享年65。官位は従五位上・伊勢守であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大中臣公隆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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