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大中臣 親隆(おおなかとみ の ちかたか)は平安時代後期の公卿。伊勢神宮祭主。神祇権大副・大中臣親仲の三男。 == 経歴 == 保延2年(1136年)神祇少祐に任ぜられる。保延5年(1139年)従五位下に叙され、永治2年(1142年)神祇権大祐に転じる。 永暦2年(1161年)従五位上・神祇少副に叙任される。長寛元年(1163年)正五位下、長寛2年(1164年)従四位下と昇進し、長寛3年(1165年)叔父・師親の解却によって伊勢神宮祭主に補任される。仁安元年(1166年)従四位上に進み、仁安3年(1168年)正四位下・神祇権大副に叙任。嘉応3年(1171年)には従三位に叙され公卿に列した。 治承4年(1180年)神祇大副に転じる。治承5年(1181年)正三位に進むが、俄かに中風を発症して翌治承6年(1182年)祭主・大副を辞退して寿永3年(1184年)出家。文治3年(1187年)9月29日薨去。享年83。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大中臣親隆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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