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大串貝塚 : ミニ英和和英辞書
大串貝塚[おおぐしかいづか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くし]
 【名詞】 1. spit 2. skewer
: [かい]
 【名詞】 1. shell 2. shellfish 
貝塚 : [かいづか]
 【名詞】 1. shell heap 2. shell mound 3. kitchen midden
: [つか]
 【名詞】 1. mound 

大串貝塚 : ウィキペディア日本語版
大串貝塚[おおぐしかいづか]
大串貝塚(おおぐしかいづか)は、茨城県水戸市塩崎町にある縄文時代前期に形成された貝塚遺跡。遺跡の平坦部分は削平されているが、斜面の貝層部分は国の史跡に指定され〔1960年(昭和45年)5月11日、国の史跡に指定される。〕、大串貝塚ふれあい公園として整備されている。
== 概要 ==
本貝塚は、市域を東流して太平洋へ注ぐ涸沼川は縄文前期には河口から凅沼の方へ向かって入江状に広がっていたと推測されており、貝塚はその北岸標高25.6メートルの那珂台地の突端に位置する。磯浜には鏡塚古墳磯浜車塚などの古墳が分布し、律令制の交通拠点「平津の駅馬」が、これらの古墳と大串貝塚の中間にあり、古来から水上交通の要所だったと推測されている。
大串貝塚は、塩ヶ崎貝塚とも大串丘貝塚ともよばれたことがあって、学会に知られるようになったのは、1885年明治22年)の頃からである。その後も小規模な発掘はあるが、遺跡全体を対象とする調査は行われていない。1936年(昭和11年)田沢金吾大場磐雄らにより調査された〔調査の概要は大山史前学研究所『背史前学雑誌』に発表された。〕。
1943年昭和18年)の発掘調査では、ヤマトシジミマシジミハマグリアサリカキアワビサザエなど、出土した貝類は淡水産と海産が混在しているから、入江状地形に川が流入するような土地に臨んでいたと考えられている。
戦後は1950年(昭和25年)日本考古研究所の酒詰仲男広瀬栄一らが調査し、縄文時代前期花積下層式土器が出土する貝塚であることが明らかにされた。花積下層式と関山式に属する土器が出土した。1985年(昭和60年)の発掘で石鏃貝輪貝刃ヤス釣針などの骨角器や貝類、スズキタイフグなどの魚類、イノシシシカなどの獣骨が検出されている。
常陸国風土記那賀郡の条に「平津の駅家の西12里にあり、名を大櫛という。上古、人あり、躰は極めて長大く、身は丘壟の上に居ながら、手は海浜の(大ハマグリ)を摎りぬ。其の食らいし貝、積聚りて岡と成りき、時の人、大挎の義を取り入れて、今は大櫛の岡と謂う。」とあり、貝塚は自然に堆積したものでなく、上古、ダイダラボッチによって作られたものとしている。ここで大櫛とよばれているのが大串貝塚と推定されている。松本清張は、推理小説「巨人の磯」に題材として取り入れている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大串貝塚」の詳細全文を読む




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