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大久保 往忠(おおくぼ ゆきただ)は、江戸時代中期の旗本。紀州藩士大久保忠直の次男で、徳川吉宗の側室お須磨(深徳院、徳川家重生母)の弟。母は紀州藩士内藤幸右衛門守政の娘。 == 生涯 == 元禄13年(1700年)、紀州藩士・大久保忠直の次男として生まれる。紀州藩に仕え、享保元年(1716年)に徳川吉宗が第8代将軍に就任するとその小姓となり300俵を給う。 享保2年(1717年)10月2日に兄忠寛が没すると、12月21日に遺領の下野国都賀郡、河内郡700石を相続する。享保9年(1724年)12月15日、都賀郡内で1,300石加増され2,000石となり、従五位下伊勢守に叙任される。翌享保10年(1725年)11月28日、徳川吉宗の側に仕え、河内郡内において3,000石を加増され、計5,000石となる。元文4年(1739年)5月25日、公務を許され、菊間広縁詰めとなり、時服5領を賜る。 宝暦9年(1759年)8月5日隠居し、卜玄と号する。家督は養子の忠翰(鳥居忠瞭次男)が継いだ。宝暦13年(1763年)5月24日、死去した。享年64。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大久保往忠」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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