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大久保 忠朝(おおくぼ ただとも)は、江戸時代の大名・老中。肥前唐津藩主、下総佐倉藩主、相模小田原藩主。 == 生涯 == 江戸時代初期に失脚した大久保忠隣の孫にあたる。従兄の大久保忠職の養子となる。家督を相続する前より小姓、小姓組番頭を勤め、寛文10年(1670年)、肥前唐津藩9万3000石を相続し、延宝5年(1677年)、老中となる。貞享3年(1686年)には祖父忠隣の領地であった小田原への復帰を果たす。漸次加増を受け、最終的に11万3000石となる。 『土芥寇讎記』における人物評価、特に「謳歌評説」などでは忠朝を、戸田忠昌、阿部正武ら同僚と並べて「善人の良将」と評している。徳川吉宗が世に出るきっかけを作った人物でもある。(吉宗のエピソード参照) なお、現在の旧芝離宮恩賜庭園は延宝6年(1678年)に忠朝が4代将軍徳川家綱から拝領した庭園が原型となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大久保忠朝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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