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大久保教隆 : ミニ英和和英辞書
大久保教隆[おおくぼ のりたか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほ]
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大久保教隆 : ウィキペディア日本語版
大久保教隆[おおくぼ のりたか]

大久保 教隆(おおくぼ のりたか)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将江戸幕府旗本小田原藩主・大久保忠隣の三男。
== 生涯 ==
天正14年(1586年)、徳川氏の家臣・大久保忠隣の三男として誕生。
少年の頃から徳川秀忠に仕え、慶長5年(1600年)の会津征伐の際は宇都宮まで同行。その後、関西で石田三成が挙兵したため、中山道を通り信濃国耳取(現・長野県小諸市耳取)まで秀忠に同行するが、若年であったため戦うことなく江戸に帰された。慶長10年(1605年)、従五位下右京亮に叙任。慶長11年(1606年)、領地3000石を与えられ、御小姓組の番頭に任ぜられた(同時期の小姓組番頭には水野忠元井上正就板倉重宗日下部正冬成瀬正武)。
ところが、慶長19年(1614年)、父・忠隣が改易に処された際、教隆も連座して天海に預けられ、その後川越藩酒井忠利の元で蟄居処分となり、元和3年(1617年)には盛岡藩南部利直の元に移された。
寛永5年(1628年)、赦免されて旧知を取り戻す。寛永9年(1632年)、御書院の番頭に任ぜられた。寛永10年(1633年)には3000石を加増されて、合計6000石を領する旗本寄合となった。寛永12年(1635年)、大番頭に任ぜられた。
寛永20年(1643年)、58歳で死去。家督は長男の大久保教勝が継いだ。なお、次男の忠朝寛文10年(1670年)に本家の大久保忠職の養子となり、老中になった上、忠隣の改易で失った旧領小田原への復帰を果たした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大久保教隆」の詳細全文を読む




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