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大井菊太郎 : ミニ英和和英辞書
大井菊太郎[たろう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [きく]
 【名詞】 1. chrysanthemum 

大井菊太郎 ( リダイレクト:大井成元 ) : ウィキペディア日本語版
大井成元[おおい しげもと]

大井 成元(おおい しげもと、文久3年9月10日1863年10月22日) - 1951年昭和26年)7月15日)は、日本の陸軍軍人陸軍大将従二位勲一等功一級男爵。旧名菊太郎。
== 経歴 ==

*1863年 山口県出身。大井又平の三男として生まれる。
*1881年1月 陸軍士官学校入学。
*1883年12月 卒業。歩兵少尉歩兵第14連隊第2大隊付。
 *士官生徒第6期(陸士旧6期)の大井の同期に、東京衛戍総督仁田原重行大将、台湾総督台湾軍司令官の明石元二郎大将、関東軍司令官立花小一郎大将がいる。
*1883年6月 歩兵第23連隊第1大隊小隊
*1886年1月 陸軍大学校(4期)に入校。
*1887年4月 歩兵中尉
*1888年11月 陸軍大学校を卒業。
*1889年12月 参謀本部出仕
*1890年2月 ドイツ留学。プロシア歩兵第113連隊に配属。
*1893年12月 歩兵大尉
*1895年2月 帰国
 *4月 第2軍参謀
 *5月 台湾総督府参謀
 *12月 帰還
*1896年1月 陸軍大学校教官
 *5月 参謀本部第3部員兼陸軍大学校教官
 *10月 参謀本部第3部員を免職。
*1897年10月、監軍部副官心得を兼務。
*1898年4月、陸軍省副官兼陸軍大臣秘書官心得
 *10月 陸軍少佐、陸軍省副官兼陸軍大臣秘書官。
*1900年5月 陸軍省総務局機密課長代理を兼務。
*1902年5月 ドイツ公使館
*1903年2月 参謀本部附、歩兵中佐
*1905年3月 歩兵大佐
*1906年8月 陸軍省軍務局軍事課長
*1909年1月 陸軍少将、歩兵第19旅団長。
*1911年3月 近衛歩兵第2旅団長
*1912年11月 陸軍大学校長
*1913年11月25日 - 成元に改名〔『官報』第418号、大正2年12月18日。〕。
*1914年5月 陸軍中将、第8師団長
*1918年7月 第12師団長、シベリア出兵に従軍。
*1919年8月 浦塩派遣軍司令官。11月、陸軍大将勲一等瑞宝章
*1920年7月 帰国
 *11月1日 勲一等旭日大綬章及び功一級金鵄勲章
*1921年1月 軍事参議官
 *4月 男爵
*1923年3月 待命。予備役
*1924年3月 貴族院議員
 *4月 恢弘会会長に就任。
*1929年4月 後備役
*1933年4月、退役
*1940年2月、内閣参議を務める
 *8月 免職
*1951年7月、死去。墓所は東京都多磨霊園法名は、成満院釋元忠。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大井成元」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Oi Shigemoto 」があります。




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