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大仁 邦彌(だいに くにや、1944年10月12日 - )は、兵庫県出身のサッカー選手、サッカー指導者。前・日本サッカー協会会長。 == 来歴 == 千葉県銚子市生まれ。神戸市立本山中でサッカーを始め、神戸高校を卒業後1年の浪人を経て慶應義塾大学に入学〔「人」 日本サッカー協会会長に就任した大仁邦弥さん 神戸新聞 2012年6月25日〕。激しいマークを持ち味とするディフェンダー(右サイドバック)として活躍。2年留年のため6年間在籍し、関東大学サッカーリーグでは6年連続全試合出場〔JFA理事会で正式決定!大仁新会長 自前の“虎の穴”つくる - スポーツニッポン、2012年6月25日〕。卒業後は三菱重工に進み日本リーグ、天皇杯での優勝を経験。日本代表としても44試合に出場した。現役通算212試合で1得点を挙げている。 現役引退後は指導者となり、日本代表コーチや三菱重工サッカー部監督などを歴任。三菱重工監督時代の1989年にはチーム史上初の2部落ちを経験している。この責任をとって監督を辞任し、社業に専念。新設されたレジャー流通施設部に配属され、福岡ドームや横浜アリーナいなどのスタジアムの開閉式屋根や可動席、人工降雪機などの装置を売る営業マンとして従事した〔大仁会長バイオグラフィー - 日本サッカー協会〕。 また、解説者として三菱ダイヤモンド・サッカー(テレビ東京/第二期)にも出演した。 1992年に日本サッカー協会に入り、施設委員会委員長や女子委員長を歴任。1996年より強化委員長を務め、1998年の加茂周監督更迭から岡田武史監督への交代、および2002年のフィリップ・トルシエ監督就任に関わった〔ひと:大仁邦弥さん 日本サッカー協会会長に就任した 毎日新聞 2012年06月26日〕。また、川淵三郎会長の下で2006年より副会長を3期6年にわたって務めた。 2012年6月24日、第13代日本サッカー協会会長に就任〔サッカー協会24日に大仁会長誕生へ -日刊スポーツ2012年6月22日] 〕〔大仁副会長が新会長昇格 -スポーツ報知2012年6月24日〕 。2014年3月29日再任され現在2期目〔サッカー協会、大仁会長が再任 -日本経済新聞2014年3月29日〕。所信表明では「不安はあるが、覚悟を決めて重責に取り組んでいく」と述べた〔日本サッカー協会の新会長大仁邦弥氏は“何もしない人” 週刊文春web 2012年6月30日〕。2016年3月、会長を退任する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大仁邦彌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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