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大仏様(だいぶつよう)は、日本の伝統的な寺院建築様式の一つ。かつては天竺様と呼ばれていた。 平重衡らによる南都焼討で焼け落ちた東大寺の再建の際、入宋経験のある僧重源によってもたらされた建築様式。従来の寺院建築様式である和様、また鎌倉時代後期から禅宗寺院に採用された禅宗様に対する言葉。禅宗様とは共通する部分も多く、あわせて鎌倉新様式または宋様式と総称される。 == 概要 == 治承4年(1180年)平氏政権による南都焼討によって東大寺は灰燼に帰した。後白河法皇は直ちに復興の意思を表し、勧進聖らに東大寺再建のための勧進活動への協力を求め、養和元年(1181年)、その責任者として重源を大勧進職(だいかんじんしょく)に任命した。 入宋経験があり建築事業にも詳しかった重源は、大陸式の新しい建築様式を導入し、大仏殿・南大門などを再建した。その建築様式は非常に独特であり〔建築面から再建過程を、詳細に著した『大厦成る 重源-東大寺再建物語』(広瀬鎌二、彰国社、1999年)がある、※大厦とは大建築をさす)〕、当時の中国(宋)の福建省周辺の建築様式に通じるといわれている。 重源没後、大仏様は急速に廃れたが、大仏殿再建に関わった職人は各地へ移り、大仏様の影響を受けた和様建築が生まれた。これは折衷様と呼ばれる。 大仏様・禅宗様で採用された貫(ぬき)は和様建築でも積極的に使われるようになり〔貫の技術自体は弥生から縄文まで遡る可能性があるが、従来の和様建築では用いられていなかった。〕、修理の際にも貫を入れ補強されることもあった。例えば法隆寺中門や平等院鳳凰堂の翼廊部分は鎌倉時代の修理で付け加えられたもので、この補強があったために現在まで建物が残った可能性がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大仏様」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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