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大伴 室屋(おおとも の むろや、生没年不詳)は、古代日本の豪族。姓は連。一般に流布している系図では大伴武以(武持・健持:たけもち)の子とされるが〔「伴氏系図」(『続群書類従』巻第182所収)等〕、世代は合わない〔武以は仲哀天皇代の人物とされる(『日本書紀』仲哀天皇9年2月5日条)〕。ほかに、武以と室屋の間に2-3代を記す系図もある〔『伴党水党並甲賀侍由緒書』(内閣文庫所蔵)では佐彦・山前の二代を、『寛政重修諸家譜』巻1142,山岡氏では健友・武季・建室の三代を記す。〕。子に談・御物がいたとする系図がある〔〔『古屋家家譜』(『甲斐国一之宮浅間神社誌』資料編及び『各家系譜』所収)によると、室屋の弟に談を、子に金村・御物・若古を置く。〕。佐伯連・佐伯宿禰の祖〔『新撰姓氏録』左京神別中〕。 == 経歴 == 允恭天皇から顕宗天皇まで5代の天皇に大連として仕えた〔『公卿補任』〕。允恭天皇(仁徳天皇の皇子)の代、妃の衣通郎姫のために藤原部を定める。雄略天皇2年、百済の池津媛を犯した石川楯を、来目部に命じて処刑させる。同23年8月、天皇崩御に際して後事を託され、直後に起こった星川稚宮皇子の叛乱を東漢掬と共に鎮圧。清寧天皇2年には、諸国に天皇の御名代として白髪部舎人・膳夫(かしわで)・靱負(ゆげい)を置いた。武烈天皇3年天皇の詔に従い、役丁を徴発して城の形を水派邑(みまたのむら、現在の奈良県河合町か)に築いた(ただし、これは金村の事績とすべき)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大伴室屋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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