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大伴牛養 : ミニ英和和英辞書
大伴牛養[おおとも の うしかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とも]
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大伴牛養 : ウィキペディア日本語版
大伴牛養[おおとも の うしかい]
大伴 牛養(おおとも の うしかい、生年不詳 - 天平感宝元年5月29日749年7月18日))は、奈良時代公卿。名は牛飼とも記される。常道大伴吹負の子。子に百代がいる。官位正三位中納言
== 経歴 ==
和銅2年(709年従六位上から三階昇進して従五位下に叙爵し、翌和銅3年(710年遠江に任ぜられる。のち、和銅7年(714年)従五位上、養老4年(720年正五位下と昇進する傍ら、左衛士督を務めた。
その後、神亀6年(729年)に発生した長屋王の変の影響を受けたためか、叙位任官の記録がない時期があるが、天平9年(737年藤原四兄弟が相次いで没してまもなく正五位上に昇叙される。以降聖武朝半ばより急速に昇進し、天平10年(738年従四位下摂津大夫を経て、天平11年(739年参議に任ぜられ公卿に列す。天平15年(743年)従四位上、天平16年(744年兵部卿。また、この間の天平14年(742年紫香楽行幸に際して平城留守司、天平16年(744年)難波行幸に際して恭仁宮留守司と、聖武天皇行幸に際して旧京の留守役を務めている。天平17年(745年)正月の紫香楽宮遷都に際して、急な造都であったことから本来その役割を担うべき石上榎井両氏を召集できなかったため、衛門督佐伯常人とともに大を宮の門に立てる役割を務め、まもなく三階昇進して従三位に叙せられた。天平18年(746年山陽西海道鎮撫使、天平21年(749年)4月に正三位中納言に叙任されるが、同年〔4月14日改元して天平感宝。〕閏5月29日薨去。最終官位は中納言正三位。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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