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大倉山高等学校 : ミニ英和和英辞書
大倉山高等学校[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [そう]
 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
高等学校 : [こうとうがっこう]
 【名詞】 1. senior high school 
: [など]
  1. (suf) and others 2. et alia 3. etc. (ら)
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
学校 : [がっこう]
 【名詞】 1. school 
: [こう]
  1. (n,n-suf) -school 2. proof

大倉山高等学校 ( リダイレクト:東横学園大倉山高等学校 ) : ウィキペディア日本語版
東横学園大倉山高等学校[とうよこがくえんおおくらやまこうとうがっこう]

東横学園大倉山高等学校(とうよこがくえんおおくらやまこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市にあった私立の女子高等学校。元は学校法人大倉山学園を母体とし、大倉山中学校大倉山幼稚園も併設されていた〔 大倉山から綱島へ歩いてみよう(講師 大倉精神文化研究所専任研究員 平井誠二) 〕。1957年からは学校法人五島育英会を母体とする東横学園に属し、「東横学園大倉山高等学校」の校名となる。2008年4月1日閉校。
== 沿革 ==
1940年、高野平により大倉山女学校として創立される〔 「シリーズ わがまち港北」第142回 舞台は大倉山高等女学校 -高野平の物語-(財団法人 大倉精神文化研究所) 〕。1943年4月、学校法人大倉山学園の大倉山高等女学校となる〔昭和18年4月13日付官報(第4873号) 文部省告示第三百六十七号〕。1948年、第二次大戦後の学制改革により、大倉山女子高等学校となる。
1955年、学校法人大倉山学園が学校法人五島育英会に合併され、校名が「東横学園大倉山高等学校」に改称され、1957年に東横学園大倉山高等学校として発足。爾来、一学年2クラス、全校6クラスの小規模高校として主事正井兵次郎(後に校長)のもと教職員一丸となって教育に取り組む。発足当初の校長は東横短大学長が兼務し、実質的には主事が「校長」。「団塊の世代」が入学する1960年代後半の高校生急増期でも全校生徒数最高500名ほどの小規模校として運営された。団塊の世代が卒業したあとは、350人~450人の生徒数。私学にあってこの規模で五十年の歴史を数えた背景には、経営が五島育英会という大きな学校法人であるということ、卒業生の母校愛がきわめて強いこと、校長を中心とする教職員の弛まぬ努力があったということなどが伺える。1966年、バスケットボール部、神奈川県大会優勝、インターハイ全国大会ベスト16。監督は山口監督。この前後数年、神奈川県女子バスケットの強豪校として注目を浴び続けた。1977年、全国高校総合文化祭書道展に、神奈川県代表出品。書道指導者は佐野守正教諭(雅号佐野梨山)。このあと、1986年、1990年、2005年と全国大会に県代表出展。県高校書道コンクールでは、2-3年に一度の割合で「県知事賞」の栄誉を受け続ける。1988年~2005年、ダンス部、8年連続で県コンクール上位入賞を果たす。ダンス部指導者は勝倉寧子コーチ。
2006年、東横学園大倉山高等学校の新規1年生募集停止。2007年、JHP(海外に学校を作る会:小山内美江子代表)の協力のもと学校後援会と提携し、カンボジア:バッタンバン州のターナッ小学校に校舎建設贈呈。大倉山高校の名前が刻まれる。2007年、書道部長、国際高校生選抜書展(通称:書の甲子園)において大賞受賞。
2008年、大倉山学園から68年、東横学園大倉山高等学校に発展してから半世紀五十年の歴史をもって閉校し、在学生は東京世田谷の東横学園中学校・高等学校に移転統合。さらに翌2009年4月1日に誕生した東京都市大学武蔵工業大学東横学園女子短期大学が統合)グループの一校として東京都市大学等々力中学校・高等学校となり、東横学園大倉山高等学校は、東京都市大学等々力中学校・高等学校の前身の一つとなった。
東横学園大倉山高等学校五十年の卒業生総数6283名。跡地には現在マンションが建っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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