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小田中古墳群(こだなかこふんぐん)は、石川県鹿島郡中能登町小田中にある古墳群。親王塚古墳・亀塚古墳の2基からなる。 両古墳は宮内庁により「大入杵命墓(おおいりきのみことのはか)」およびその陪冢(陪塚)に治定されているほか、中能登町指定史跡に指定されている(指定名称は「親王塚及び亀塚古墳」)。 == 概要 == 石川県北部で能登半島基部、邑知地溝帯の中央部の石動山系西麓部に位置する、古墳時代前期の古墳2基からなる古墳群である。両古墳は約40メートル離れて築造されている。そのうち親王塚古墳については『平家物語』巻7に「木曾殿(木曽義仲)は、志保の山打ちこえて、能登の小田中、新王の塚の前に陣をとる」と見え、古くから知られた古墳になる(比定には異説もある)〔『新編日本古典文学全集 46 平家物語 (2)』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、p. 38。〕。現在は両古墳とも宮内庁の管理下にあり、近年では2011-2012年度(平成23-24年度)に宮内庁書陵部により測量調査が実施されている。 親王塚古墳・亀塚古墳の古墳域は、1875年(明治8年)に宮内省(現・宮内庁)により皇族墓およびその陪冢(陪塚)に治定されたほか、1958年(昭和33年)に中能登町指定史跡(当時は鹿島町指定史跡)に指定されている〔。なお、邑知地溝帯を挟んだ位置では、同じく古墳時代前期の古墳群として雨の宮古墳群(中能登町西馬場・能登部)の立地が知られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「小田中古墳群」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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