翻訳と辞書
Words near each other
・ 大典顯常
・ 大内
・ 大内 (丸森町)
・ 大内 (倉敷市)
・ 大内ありさ
・ 大内さくら
・ 大内インターチェンジ
・ 大内インターチェンジ (曖昧さ回避)
・ 大内インターチェンジ (秋田県)
・ 大内ジャンクション
大内ダム
・ 大内バスストップ
・ 大内バスストップ (香川県)
・ 大内三郎
・ 大内世莉香
・ 大内中学校
・ 大内乱
・ 大内仁
・ 大内伸哉
・ 大内兵衛


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大内ダム : ミニ英和和英辞書
大内ダム[おおうち-]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 

大内ダム : ウィキペディア日本語版
大内ダム[おおうち-]

大内ダム(おおうち-)は福島県南会津郡下郷町大字大内字小野嶽、一級河川阿賀野川水系小野川の最上流部に建設されたダムである。
電源開発株式会社が管理する堤高102.0mの中央土質遮水壁型ロックフィルダムで、揚水発電所である下郷発電所(しもごうはつでんしょ)の上部調整池でもある。下部調整池である大川ダム(阿賀野川本川・国土交通省北陸地方整備局管理)との間で純揚水式発電を行うことで、認可出力1,000,000kWを発電する目的を有する発電専用ダムである。
== 沿革 ==
阿賀野川流域は大正時代より電源開発が盛んな流域であった。上流山岳地帯は豪雪地帯であることから、春先の雪融け水を始めとして年間を通じ豊富な流量となっている。こうしたことから猪苗代湖只見川を中心に多くの水力発電所や発電専用ダムが建設され、奥只見ダム田子倉ダム(只見川)といった日本のダムの歴史に残る大プロジェクトも遂行されていた。これらは戦後の電力不足を補うため1950年(昭和25年)に制定された国土総合開発法に基づき、「只見川特定地域総合開発計画」が策定された結果であった。だが、次第に火力発電への比重が高くなり、阿賀野川流域においても水力発電の新規開発は収束して行った。
ところが1973年(昭和48年)にオイルショックが勃発し、原油に依存していた日本経済は大きな打撃を受けた。火力発電は石油に依存していた面が大きかったため、エネルギーの安定供給という観点で一抹の不安をもたらした。電力行政を管轄する通商産業省(現・経済産業省)は化石燃料に依存せず、天然で無尽蔵な資源・水を活用できる水力発電を再評価、水力発電は再び脚光を浴びるに至った。この中で、火力発電や原子力発電との連携が図れ、余剰電力を有効に活用できる揚水発電に俄然注目が集まり、全国各地において揚水発電所の建設計画が各電力会社によって推進されていった。
阿賀野川流域においても揚水発電に適当な地点が調査されていたが、当時建設省北陸地方建設局が阿賀野川本川の治水会津盆地への利水を目的に大川ダムの建設計画を進めていた。電源開発はこの大川ダムを利用して揚水発電を行う方針を固め、大川ダム建設事業に電気事業者として東北電力と共に参加した。そして1974年(昭和49年)より大川ダム上流部で阿賀野川に注ぐ小野川の最上流部、水源である大内沼地点に上部調整池を設けることで揚水発電を行う計画を立てた。これが大内ダムである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大内ダム」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.