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大内 義綱(おおうち よしつな、生没年不詳)は戦国時代の武将。陸奥国安達郡小浜城主。別名は定頼。大内定綱、片平親綱の父。 == 経歴 == 大内氏〔本姓は多々良氏。系譜上では西国の有力大名大内氏の庶流とするが、いつ嫡流から分かれたか不鮮明であり、仮冒の可能性もある。そもそも陸奥大内氏は斯波氏庶流・塩松石橋氏の執事として奥州安達郡に入部した家系である。〕は当初、塩松石橋氏の重臣であったが、義綱は天文11年(1550年)に主君の石橋尚義を塩松城二の丸に幽閉して石橋氏の実権を掌握、永禄11年(1568年)には田村氏に内応して尚義を追放し、塩松地方を手中に収めた。翌年には石橋氏の重臣だった宮森城主・大河内備中を攻め滅ぼしている。その後は田村氏の旗下に入り、天正4年(1576年)には安積郡に侵攻し片平城を落とすなど活躍した。子の定綱の代には田村氏から独立して田村清顕とたびたび交戦した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大内義綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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