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大内氏館(おおうちしやかた)は、山口県山口市大殿大路に建てられた城館で、周防国・長門国を本拠とした大内氏の居館(守護館)である。「大内氏遺跡附凌雲寺跡〔大内館跡に加えて、築山館跡・高嶺城跡・凌雲寺跡で構成されている。〕」として国の史跡に指定されている。 == 概要 == 大内氏24代当主の大内弘世が、山口を本拠と定め移り住んだ時に築かれた〔龍福寺の大内館跡説明板(山口市)〕居館で、京都を模した山口の街に似つかわしく城ではなく館として建てられた。そのため、詰の城として背後に高嶺城がある。 最盛期の館は堀を含めると東西160m・南北170m以上の規模を誇る方形の居館で、京都の将軍邸を模しているとも言われる〔大内文化の遺産:大内氏館跡 - 大内文化まちづくり(山口市文化政策課)〕。初期は、館は溝と塀で囲まれている程度だったが、15世紀中頃には空堀と土塁によるある程度の防御力を備えた城館になった。堀はさらに南側にも伸びていることから、土塁で囲まれた部分よりさらに南にも関連する施設があったと推定されている。 館のすぐ北側には別邸として築山館(築山御殿)が築かれており、大内氏館は住居として、築山館は迎賓館的な役割の場として使われていたと思われる。また、館の南東部には大きな池を持った庭園があり、北西部には枯山水の庭園、現在の龍福寺の南東でも詳細不明の庭園が存在していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大内氏館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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