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「大分県行進曲」(おおいたけんこうしんきょく)は、1935年(昭和10年)に発表された日本の行進曲である。 作詞・庄武憲太郎、作曲および編曲・江口夜詩。 == 概要 == 1935年、豊州新報(大分合同新聞の前身紙)創刊50周年記念事業の一環として豊州新報社が「時あたかも世を挙げての非常時、光輝ある歴史と秀麗なる天恵をあわせ持つ、わが躍進大分県の意気を象徴する、代表歌を得る」ことを制定意義に掲げて歌詞の公募を実施し〔「大分県行進曲」誕生の経緯と作詞・作曲者について知りたい。 (大分県立図書館)〕、大分県内外から合計332編の応募作が投稿された〔大分合同新聞社百年史、115ページ。〕。審査の結果、旧制中学教員の庄武憲太郎が応募した作品が一等入選となり、豊州新報社の依頼により江口夜詩が作曲を手掛けて7月13日に大分県教育会館で発表・演奏舞踊大会が開催された〔。 7月15日に日本コロムビアから中野忠晴の歌唱により発売されたレコードは大分県内で人気を博し〔、日本体育ダンス研究会が本曲に合わせた「希望の光」と題するダンスの振り付けを作成したことで大分県外でも広く知られるようになった〔加藤(1979)、257ページ。〕。同年8月9日付の豊州新報では、その盛況ぶりを以下のように記している。 1960年(昭和35年)には大分合同新聞の(前身の豊州新報時代から)創刊75周年を記念して、大分市出身の立川澄人が歌唱するカバー版が新たに発売された〔加藤正人「大分うた紀行」第1回(『広報おおいた』1994年1月号)。〕。 大分県は2013年(平成25年)現在も正式な県民歌を制定していないが、県統計協会が毎年発行する県民手帳には平成16年(2004年)版まで本曲が「大分のうた」の筆頭曲として事実上の県民歌的な扱いで掲載されていた(現在は掲載されていない)〔〔ゆるキャラだけが県じゃない。県民手帳は何を考えているのか〈沖縄県〜山口県編〉 (エキレビ!、2013年1月24日)〕。庄武憲太郎の出生地である杵築市大田地区(旧大田村)では、庄武の33回忌かつ曲の発表50周年に当たる1985年(昭和60年)に衆議院議員・田原隆が揮毫した「大分県行進曲春鳥歌碑」(「春鳥」は庄武の号)が建立された〔大分合同新聞社百年史、116ページ〕。 民謡研究家の加藤正人は本曲について と評している〔加藤(1979)、258ページ。〕。現在は毎年2月に開催される県内一周大分合同駅伝において大分合同新聞社が広報車の街宣用BGMとして使用している他〔大分県行進曲について(平成24年3月30日回答) 〕、県内で開催される演奏会や県外の大分県人会で歌唱されており世代を超えて広く親しまれている〔日本うたの地図、141ページ。〕。正式な県民歌への指定を望む意見もあるが、民間主導で作成された曲であるためか大分県は本曲の県民歌への指定には消極的である〔。なお、豊州新報社が歌詞を公募した際には大分県学務部長および教育課長が大分師範学校および女子師範学校の校長らと共に審査に参加していた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大分県行進曲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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