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大判座(おおばんざ)は、大判鋳造の需要が生じる度に後藤四郎兵衛家が開設した組織の通称である。判金座(ばんきんざ)とも呼ばれる。 江戸時代初期の頃は大判座の名称は公式には存在しなかったとされるが〔小葉田淳 『日本の貨幣』 至文堂、1958年〕、金座後藤の後藤庄三郎家と区別するために後藤手代らが使用していた通称が幕末の頃には勘定所の公文書にも使用されるようになった〔瀧澤武雄,西脇康 『日本史小百科「貨幣」』 東京堂出版、1999年〕。それ以前の幕府に提出された公文書における名称は、後藤役所(ごとうやくしょ)、後藤金見役所(ごとうきんみやくしょ)あるいは大判役所(おおばんやくしょ)であった。 == 概要 == 後藤四郎兵衛家は彫金および両替屋で使用する分銅の鋳造、検査を家職とする御用達町人であったが、幕府より大判鋳造の要請があれば職人を招集して後藤屋敷内に吹所を設け大判座を開設した。また幕府の非常時に備える蓄財である法馬金・銀と呼ばれる分銅金・銀の鋳造も請負った。このように大判座は金座および銀座のような常設のものではなかった。 また金座および銀座は通貨を鋳造する所であったから勘定奉行の管轄下にあったが、大判座は勘定奉行も関与はしたものの管轄は主に腰物奉行であり、一般の通貨とは性格を異にする大判の鋳造という特殊な御用故のことであった。大判座というのはこのように臨時開設のものであったため、後藤家は世間において「大判座後藤」よりはむしろ「彫物後藤」の通称が用いられることが多かった〔田谷博吉 『国史大辞典』2巻「大判座」、吉川弘文館、1980年〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大判座」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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