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大原内親王(おおはらないしんのう、生年不詳 - 貞観5年1月19日(863年2月10日))は、平安時代前期の皇族。平城天皇の第3皇女。母は宮人の贈従三位・伊勢継子(正四位下木工頭・伊勢老人の娘)。同母兄弟に高岳親王、巨勢親王、上毛野内親王、石上内親王がいた。伊勢斎宮。 大同元年(806年)11月13日、平城天皇の斎宮に卜定され、同2年(807年)8月24日に野宮入り、同3年(808年)9月4日に伊勢に群行したが、翌4年(809年)4月1日には、平城天皇の譲位により半年余りで退下した。弘仁元年(810年)叔父・嵯峨天皇から、近江国・播磨国・備前国の穀800斛を賜る。同年、薬子の変により同母兄弟の高岳親王が皇太子を廃された。清和天皇(嵯峨天皇の曾孫)の治世になった貞観5年(863年)正月19日、無品のまま死去した。 == 参考文献 == *角田文衛監修『平安時代史事典』角川書店、1994年。 *芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大原内親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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