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ジョー・オハラ(, 1903年12月10日 - 没年不詳)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社, p.281.〕〔''ジョー・オハラ''、日本映画データベース、2012年12月6日閲覧。〕〔''ジョー・オハラ''、KINENOTE、2012年12月6日閲覧。〕。本名仁平 久(にひら ひさし)、別表記ジョウ・オハラ、大原 譲および大原 穣(おおはら じょう)とも〔〔〔。 == 人物・来歴 == 1903年(明治36年)12月20日、秋田県秋田市に生まれる〔〔。 旧制・秋田県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)を卒業し東京へ移転、旧制・専修商業学校(現在の専修大学)を卒業した後に映画会社小松商会に入社している〔。1925年(大正14年)3月、京都の日活大将軍撮影所に移籍、同年公開の『此の母を見よ』で本格的に映画界にデビューした〔。1933年(昭和8年)、新興キネマに移籍、現代劇に出演を続けるが、1935年(昭和10年)、マキノ正博が同年末に新しく開いたトーキーのための撮影所、マキノトーキー製作所に入社、現代劇のほか、『次郎長裸旅』で小政を演じている〔''ジョー・オハラ''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年12月6日閲覧。〕。 まもなく新興キネマに復帰、東京に新設された現代劇の撮影所、新興キネマ東京撮影所(現在の東映東京撮影所)に異動する〔〔。1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合によって大映が設立され、新興キネマは合併して東京撮影所は閉鎖されたが、オハラは「大原 穣」と名を改め同社に継続入社する〔〔。第二次世界大戦終結後は、大映東京撮影所(かつての日活京都撮影所、現在の角川大映撮影所)に所属し、満68歳となる1971年(昭和46年)末の大映倒産まで、同社に所属して脇役俳優を続けた〔〔。その後の消息は不明、没年不詳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジョウ・オハラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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