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大原 重朝(おおはら しげとも、1848年6月21日(嘉永元年5月21日)- 1893年(明治26年)1月25日〔『明治維新人名辞典』278頁。〕)は、幕末の公家、明治期の官僚・政治家。貴族院伯爵議員。幼名・常丸〔。 ==経歴== 山城国京都で、大原重徳の三男として生まれ、兄・大原重実の養子となる〔〔『平成新修旧華族家系大成』上巻、321-322頁。〕。万延元年(1860年)孝明天皇の児に就任し、文久2年3月(1862年)元服して重朝と改名し備後権介に任じられた〔『明治時代史大辞典 第一巻』368頁。〕。慶応2年2月(1866年)左馬頭に就任〔。同年8月、朝廷刷新の二二卿建議(廷臣二十二卿列参事件)に加わり差控を命ぜられた〔。慶応3年2月(1867年)赦免となる〔。 慶応4年閏4月19日(1868年6月9日)参与・弁事に就任〔『百官履歴 上巻』192頁。〕。以後、権弁官事、弁官事、神楽御人数などを歴任〔。1874年3月、宮内省九等出仕となる〔〔。1877年9月、養父が死去し、同年10月30日、家督を継承〔。1879年2月、外務省御用掛に就任した〔。 1884年7月8日、子爵を叙爵〔『官報』第308号、明治17年7月9日。〕。1888年1月17日、父・重徳の勲功により伯爵に陞爵〔『官報』第1363号、明治21年1月18日。〕。1890年7月、貴族院伯爵議員に選出され、死去するまで在任した〔『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』24頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大原重朝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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