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大友 純(おおとも じゅん、明治32年(1899年)11月21日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。 == 来歴 == 1899年(明治32年)11月21日、宮城県仙台市に生まれる〔『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年、p.107.〕。 旧制・東京音楽学校(現在の東京芸術大学)乙種師範科卒業。1923年(大正12年)から1929年(昭和4年)まで、旧制・大阪市立難波高等小学校(現在の大阪市立難波元町小学校)と同じく旧制の群馬県師範学校(のちの群馬師範学校、現在の群馬大学学芸学部)に音楽教師として勤務した〔。1929年、田谷力三、淡谷のり子らと松竹座チェーンのアトラクションに出演し、以後は歌手兼俳優としてカジノ・フォーリーやムーランルージュ新宿座、榎本健一一座などで活躍する〔。 1935年(昭和10年)、成瀬巳喜男監督、P.C.L.映画製作所(現在の東宝スタジオ)製作の『乙女ごころ三人姉妹』〔乙女ごころ三人姉妹 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年3月13日閲覧。乙女ごころ三人娘 (日本映画データベース、2010年3月13日閲覧)は誤り。〕に、浅草六区の不良役で映画デビューする〔大友純、日本映画データベース、2010年3月13日閲覧。〕。第二次世界大戦中は国策で作られた移動演劇隊のひとつである東宝移動文化隊に所属し、地方巡業や慰問活動の演劇に出演した〔。 戦後は脇役俳優として、おもに東宝と新東宝の映画に出演して、1961年(昭和36年)の新東宝倒産まで映画を中心に出演。以後はテレビドラマにも活動の場を広げ、1973年(昭和48年)まで俳優として活躍した〔大友純、テレビドラマデータベース、2010年3月13日閲覧。〕。 また、新東宝時代には石井輝男と中川信夫の監督作品に多数出演して、個性派の中老脇役として活躍する〔。中川信夫監督作品『東海道四谷怪談』 ではお岩とともに亡霊となって伊右衛門を呪い殺す按摩の宅悦、『地獄』では物語のキーパーソンとなる地獄絵図に取り憑かれた日本画家・谷口円斎と、重要な役で出演した。 脇役としての出演が多いが、大蔵映画で製作された小林悟監督作品『怪談残酷幽霊』(1964年)では主役もつとめている〔怪談残酷幽霊 、日本映画データベース、2010年3月13日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大友純」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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