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大友義右 : ミニ英和和英辞書
大友義右[おおとも よしすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とも]
 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal 
友義 : [ゆうぎ]
 (n) friendship's responsibilities
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [みぎ]
 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing 

大友義右 : ウィキペディア日本語版
大友義右[おおとも よしすけ]

大友 義右(おおとも よしすけ)は、室町時代から戦国時代にかけての武将守護大名豊後国大友氏の17代当主。
== 生涯 ==
文明1484年)、父大友政親から家督を譲られ当主となったが、大聖院宗心(13代当主大友親綱の六男)が親豊(義右)と父政親との離間を図り盛んに暗躍していたこともあり、父と対立するようになる。父との対立後、大内氏による大友家干渉もあり、母方の従弟大内義興の下へ出奔する。文明19年/長享元年(1487年)には一時的に父と和解し帰国したが、長享3年/延徳元年(1489年)に叔父日田親胤肥後国で謀反を起こすと、同じく叔父親治の尽力のより鎮圧したが、宗心が親胤の謀反は政親の差し金と讒言し、これを親豊が信じたため対立が再燃する。
明応2年(1493年)、将軍職をめぐる足利義材義澄 の対立においては大内義興に従ったようで、親豊は進んで義材に臣従することを申し出、義材の一字から材親、ついで義右と改名する。この後、父子の対立は激化してゆく。同3年(1494年)、政親に加担した筑後国詰郡代の田原親宗田原親述の父)が府内に侵攻するが、義右は親宗を破り敗走させている。
治世が不安定な中、義右は明応5年4月頃から病を得、翌5月死去。大智寺に葬られたと伝えられているが墓は現存しない。病死と思われるが「対立していた父政親に毒殺された」という噂が流れたことが近衛政家の日記に残っている。
家督は父が再度継いだ後に叔父親治が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大友義右」の詳細全文を読む




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