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大友 義長(おおとも よしなが)は、戦国時代の武将・戦国大名。豊後国の大友氏19代当主。初名は親匡(ちかただ/ちかまさ)、親元(ちかもと)、義親(よしちか)。 == 青年期 == 先代の大友政親と義右との父子対立による混乱を鎮めた父の親治により、明応6年1497年、当主として擁立された。当時の北九州においては周防国の大内義興の力が大きく、義興は明応2年(1493年)の明応の政変により室町幕府管領・細川政元に追放された足利義材(義稙)を擁立していたため、父親治は当初は大内氏の支持を得るために義材に接近したが、義興は大聖院宗心(大友親綱の六男)の家督相続を主張し、親匡(義長)の家督相続の正当性を否定した。大友氏との敵対を望まない義材の仲裁により、義興とは一時的に和解したものの、親治・親匡父子は細川政元の擁立する将軍・足利義高(義澄)と通じるようになり、その援助により豊前国へ進出し、宗心を周防へ追放した。明応10年/文亀元年(1501年)、将軍・義高は親匡の家督を承認し、豊後・筑後国・豊前の守護に任じた。親匡は義高の偏諱を受け義親と名乗った(後に義長と改名する)。このことにより義長が大友氏の正当な継承者として一段落する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大友義長」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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