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大友 親治(おおとも ちかはる)は、戦国時代の武将・戦国大名。豊後国大友氏の18代当主。15代当主・大友親繁の五男。 == 生涯 == 当初は肥後国瑞光寺の僧侶であったが、長兄の政親が家督を継いだ頃に還俗し兄を助けた。肥後で異母兄弟の日田親胤が、政親やその子義右に対して謀反を起こした際は、兄や甥を助けて反乱を鎮圧した。 明応5年(1496年)、義右・政親が相次いで死去すると、直ちに軍を起こして家中の混乱を収拾し家督を相続した。同6年(1497年)には自身の基盤を安定化させるため、当時の室町幕府管領であった細川政元や将軍足利義澄らと通じる。この動きに対して、周防国の大内義興が親治の従兄弟に当たる大聖院宗心(大友親綱の六男)を擁立し干渉してくるが、同7年(1498年)、豊前国下毛郡の戦いで大内方を破って宗心を追放、家督を完全に掌握し、大友氏の戦国大名化を成し遂げた。また、異母弟・親常を日田氏に、同母弟・治直を母の実家である竹中氏に入嗣させるなど、一門の強化を計った。 文亀元年(1501年)、子の義長に家督を譲り隠居したが実権は掌握し続けた。永正15年(1518年)、義長が自身に先立って死去するという不幸に見舞われたが、孫の義鑑を補佐し、大永4年(1524年)に64歳で死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大友親治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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