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大同江の戦い(だいどうこうのたたかい)は文禄の役において日本軍と朝鮮軍との間で戦われた戦闘。この戦闘で日本軍は平壌城を占領した。 == 戦闘までの経過 == 文禄元年(1592年)5月18日の臨津江の戦いで朝鮮軍が大敗を喫すると平壌城にいた朝鮮王宣祖は平壌から王子を避難させ、敗走してきた金命元・韓応寅・李鎰ら5,6千を収容し、左議政尹斗寿を守城将とし、その配下として都巡察李元翼・平安道巡察使宋慎言・兵使李潤徳らが平壌城の防備を固めた。 6月9日、平壌を目指す小西行長ら一番隊は平壌の大同江対岸まで到着すると、柳川調信・僧景轍玄蘇を使って朝鮮軍に降伏を呼び掛けたが、朝鮮軍はこれを拒否した。11日、宣祖は日本軍の総攻撃が間近になると尹斗寿に平壌城を任せて寧辺に逃亡した。朝鮮軍は日本軍が大同江を渡河する前に川を増水させ、日本軍の渡河を妨害しようと雨乞いを催したが効果はなかった。そこで14日、金命元は城から日本軍の様子を見て大同江を渡ることができず油断していると判断すると、夜襲を行って日本軍の機先を制しようと計画し、精兵を寧遠郡守高彦伯と碧団僉使柳璟令に与え実行させた〔既累日不得渡江,警備頗怠。金命元等自城上望見,以為可乗夜掩襲,抄撰精兵,使高彦伯等領之『懲毖録』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大同江の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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