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大和二見駅(やまとふたみえき)は、奈良県五條市二見三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)和歌山線の駅である。 隣の五条駅とはわずか1.7kmと至近の距離にある。和歌山線においては、この駅から和歌山寄りの各駅を和歌山支社が管轄する。隣の五条駅の構内からは近畿統括本部(大阪支社王寺鉄道部)の管轄に変わる。 == 歴史 == 後にJR和歌山線となる路線のうち、高田駅から葛駅(現在の吉野口駅)を経て五条駅への路線は、私鉄の南和鉄道が建設、開業した。南和鉄道は、吉野川の水運と連絡の便を図るべく二見駅(後の川端駅)までの路線を建設し、葛 - 五条間と同じ1896年(明治29年)10月25日に開業した〔『関西鉄道史』pp.161 - 162〕。五条 - 二見間は1マイル71チェーン(約3,038 m)で、この区間は貨物線であった〔。 その後、五条 - 和歌山(後の紀和駅)間を建設した私鉄の紀和鉄道では、この五条 - 二見間の貨物線を一部利用して工事を進めることになり、1898年(明治31年)4月11日に五条 - 橋本間を開業した際に、五条起点78チェーン70リンク(約1,583 m)地点に紀和鉄道起点を設置して路線を分岐させた〔『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』第2巻 p.364〕〔『紀和鉄道沿革史』p.19〕。この時点では紀和鉄道起点は単なる分岐点であり、駅は設置されていなかった。しかし1899年(明治32年)に、9月18日開業、10月1日廃止で二見臨時停車場を五条起点1マイル5チェーン(約1,709 m)地点に開設した記録がある〔『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』第2巻 p.361〕。後に二見駅が開設された時のマイル程は五条起点79チェーンであり、臨時停車場は二見駅から6チェーン(約120 m)和歌山方にあったことになる。 紀和鉄道が南和鉄道線を一部利用するのは、当初は全線を建設するまでの暫定的なものとされていたが、その後の交渉によりこの形態は恒久的なものとすることになり、1901年(明治34年)7月1日付の契約で、五条から西の旅客列車は紀和鉄道が、五条から二見に向かう貨物列車は南和鉄道が、それぞれ営業することで合意された〔『紀和鉄道沿革史』pp.72 - 77〕。同年10月9日逓信大臣の認可を得て、紀和鉄道の起点が正式に分岐点に移転された〔『紀和鉄道沿革史』pp.67 - 68〕。この合意の中で、分岐点に新たに駅を開設してこの駅を紀和鉄道側が管理することが定められ〔、1902年(明治35年)6月3日付で分岐点にあたる五条起点79チェーン(約1,589 m)地点に二見駅が開設され、同日従来の二見駅は川端駅に改称された〔『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』第2巻 pp.361, 364〕。 紀和鉄道はその後、関西鉄道へ売却することになり、1904年(明治37年)5月17日に営業を全面的に関西鉄道へ委託し〔『紀和鉄道沿革史』pp.114 - 119〕、8月27日に正式に売却された〔『紀和鉄道沿革史』pp.119 - 120〕。これにより、当駅は関西鉄道の所属駅となった。また南和鉄道も関西鉄道へ売却する方向となり、まず1904年(明治37年)10月1日から関西鉄道が南和鉄道の営業委託を受けて管理することになり〔『関西鉄道史』p.167〕、同年12月9日に正式に譲渡となった〔『関西鉄道史』p.491〕。二見駅はこれにより関西鉄道の路線同士の分岐駅となった。その関西鉄道が、1907年(明治40年)10月1日に国有化されたことで〔、二見駅は官設鉄道の駅となった。 1919年(明治42年)4月15日に駅名を大和二見駅に改称した〔。開業以来貨物も取り扱う一般駅であったが、1971年(昭和46年)4月26日に貨物営業は廃止となり、旅客駅となった〔。また当駅で分岐して川端へ至る貨物線は、1982年(昭和57年)10月1日に廃止となった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大和二見駅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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