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大和富士充 : ミニ英和和英辞書
大和富士充[やまとふじ みつる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

大和 : [やまと]
 【名詞】 1. ancient Japan 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 

大和富士充 : ウィキペディア日本語版
大和富士充[やまとふじ みつる]

大和富士 充(やまとふじ みつる、1984年12月19日 - )は、広島市西区出身で阿武松部屋所属の現役大相撲力士。本名は大和 充(やまと みつる)。身長188cm、体重146kg、血液型はB型。最高位は西幕下2枚目(2014年3月場所)。
== 来歴 ==
小学校時代は1年時より柔道に勤しみながらも父の仕事の関係で「7,8回転校」する生活を送り、住居が宮崎県日向市に落ち着いたのは中学時代になってからであった。〔『相撲』2014年2月号77頁〕地元の中学校を卒業した後進学した後はスポーツが盛んな宮崎県延岡学園高等学校に進学した。高校時代も柔道部に所属し、インターハイでベスト8に進出している。高校時代にはまた全日本ジュニア大会で3位になるなどの活躍も果たした。明治大学進学後も柔道部に所属してレギュラーの座も獲得していたが、自分の柔道に迷いが生じて思い悩むようになった。そんな中でテレビで阿武松部屋の特集を目にしてすぐに体験入門の約束を入れ、数日間力士達と寝食を共にしている間に角界入りの覚悟を決めた。その体験入門からの流れで阿武松親方(元関脇益荒雄)から正式な入門を打診され、大学を2年で中退して阿武松部屋に入門した。
2004年11月場所に初土俵を踏み、四股名は「大和富士」となった。初めて番付に名前が載った2005年1月場所は2番相撲で影丸に敗れるが、6勝1敗の好成績で序ノ口優勝決定戦へ進出。5人での優勝決定戦となり、1回戦は1人を不戦勝とし残った4人を2人に絞る形式で行うためくじ引きが行われ、不戦勝をひいたため2回戦への進出が決まった。2回戦は巴戦の形式で行われたが、2回戦1番目で影丸と再戦することになり、敗北。しかしその影丸は2番目で勝てば序ノ口優勝となるところであったが、中谷に敗れたため、3番目に中谷と大和富士の対戦が組まれた。しかし大和富士は中谷に敗れてしまい、序ノ口優勝は中谷に奪われることとなった。
同年3月場所で序二段に昇進すると3場所連続で勝ち越しを続け、同年9月場所では三段目に昇進した。しばらくこの三段目に定着していたが、2007年5月場所を前に首を負傷をしてしまい、3場所連続で全休をすることになる。序ノ口に下がった同年11月場所で土俵に復帰し、3場所後の2008年5月場所で三段目に復帰。この場所を6勝1敗の好成績で終えると翌7月場所は西三段目10枚目の地位で4勝3敗の勝ち越しとした。土俵復帰から5場所連続の活躍で、同年9月場所は初の幕下昇進となった。だが、西幕下60枚目であったこの場所は3勝4敗と負け越してしまった。
三段目に落ちた同年11月場所と、幕下に復帰した2009年1月場所を連続で勝ち越すと、翌3月場所は3番相撲で大翔山に敗れただけの6勝1敗とし、8人による幕下優勝決定戦に進出した。1回戦でこの場所十両から下がってきており、翌場所での十両復帰を確実としていた幕内経験者の玉飛鳥引き落としで破り、準決勝に進出したが、押し出し徳真鵬(現・德真鵬)に敗れてしまい、幕下優勝は成らなかった。この場所の幕下優勝は結局佐田の富士を決勝戦で破った徳真鵬のものとなった。
この活躍により、翌5月場所は東幕下20枚目に躍進したが、以降は体調不良とそれに伴う成績不振が続き、2010年5月場所では三段目に落ちてしまった。1場所で幕下へ復帰したが、復帰場所の同年7月場所前に大相撲野球賭博問題が発生した。大和富士をはじめとして阿武松部屋は関与者が多く、7月場所千秋楽までの謹慎処分を受けたため休場。自身4度目の全休で翌9月場所は再び三段目へ転落してしまった。9月場所前に日本相撲協会から譴責処分を受けており、これが協会の正式処分となっている。この野球賭博に関しては、2011年2月15日警視庁から賭博容疑で書類送検され〔客の現役十両ら9人を書類送検 警視庁、野球賭博容疑で 47news 2011年2月15日〕、同年3月17日賭博罪東京簡易裁判所略式起訴されている〔野球賭博で9人略式起訴…琴光喜ら30人不起訴  毎日jp 2011年3月17日〕。
相撲のほうは謹慎から復帰して以降は序盤戦の負けが込んで終盤で持ち直す星取りが続くなど内容では精彩を欠いており、1場所で幕下に復帰はしたが2011年9月場所で再び三段目に陥落してしまうなど、幕下下位を中心とした番付変遷が続いていた。2007年5月場所に痛めた首痛はその後も持病になっており、一度穏やかになった首痛が再発した2011年頃には稽古もままならなかった。ところが2012年11月頃に首痛からの回復を迎えて以来「1日300回から500回の四股」、「毎日のように足が攣り、昼寝の後は痛くて起き上がれない」という厳しい稽古を重ねて実力と番付を伸ばしていった。2013年11月場所を西幕下18枚目の地位で迎えて6勝1敗の好成績を残すと翌2014年1月場所は自己最高位を更新する東幕下7枚目の地位を得た。その場所でも5番相撲まで全勝するなど好調ぶりを見せ、全勝で関取昇進を果たすという悲願も近づいていたが6番相撲で黒星を喫する。6勝1敗ならば僅かに十両昇進を果たす可能性が期待できたが7番相撲で黒星が付いて5勝2敗に終わり、場所後の新関取を逃した。翌3月場所は自己最高位を西幕下2枚目に更新して臨んだが、勝てば勝ち越しと関取昇進が決まる、14日目に組まれた入れ替え戦的要素のある十両大喜鵬との取組に敗れてしまい、関取昇進を逃した。同年11月場所は西幕下4枚目の地位で十両昇進を目指すも2番相撲を最後に負けっ放しとなり2勝5敗に甘んじた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大和富士充」の詳細全文を読む




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