|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 大和 : [やまと] 【名詞】 1. ancient Japan ・ 和 : [わ] 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace ・ 和本 : [わほん] (n) book bound in Japanese style ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 本草 : [ほんぞう] 【名詞】 1. plants 2. medicinal herbs ・ 草 : [くさ] 【名詞】 1. grass
『大和本草』(やまとほんぞう)は貝原益軒が編纂した本草書である。1709年(宝永7年)に刊行された。明治時代に生物学や農学の教本が西洋から輸入されるまでは日本史上最高峰の生物学書であり農学書である。現在、江戸時代までの生物学書や農学書の資料は大和本草以外は残っておらず、当時の日本独自の生物学や農学を知る上において第一級の資料である。 == 概要 == 益軒は『本草綱目』の分類方法をもとに独自の分類を考案し編纂、収載された品目は1,362種、本編16巻に付録2巻、図譜3巻、計21巻。 薬用植物(動物、鉱物も含)以外にも、農産物や無用の雑草も収載されている。また「大和本草」は古典に記載された物の実体を確定する名物学的側面も持っている。本来の本草学とは薬用植物を扱う学問であるが、この大和本草に於いて日本の本草学は博物学に拡大された。これらは益軒が本草学にとどまらず農学、儒学、和漢の古典など多数の学問に通じていたからこそ出来たことでもある。 「大和本草」には漢名の無い品目も多数収載されている。益軒以前の日本の本草学は「本草綱目」を分析する文献学であった。他の学者は漢名のない日本独自の物は無視して取り上げない、あるいは無理に当てはめるというようなことをしたが益軒はそれをしなかった。また、図版を多く用いることで理解を助ける、仮名が多く使われていることも当時の学問書としては異例のことである。これは益軒が学問を真に世の人の役に立つものにしたいという思いの現れである。 益軒は自ら観察・検証することを基本とした。この後日本の本草学は文献学から脱皮し、自らの足で歩き植物を発見・採取する本草学者が現れるようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大和本草」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|