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大和国(やまとのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。畿内に属する。 == 国名について == 当国は、律令制定の際に表記を「大倭国(やまとのくに)」として成立したとされる〔〔大和国(藩名・旧国名がわかる事典) (朝日新聞社コトバンクより)。〕。ただし藤原京出土の木簡に「□妻倭国所布評大□里」(所布評とは添評を指す)とあるように、「倭国」と記載された様子も見える。 その後、奈良時代の天平9年12月27日(ユリウス暦:738年1月21日)〔『続日本紀』天平9年(737年)12月27日条。〕に表記は「大養徳」に改められた〔。天平19年3月16日(747年4月29日)〔『続日本紀』天平19年(747年)3月16日条。〕には元の「大倭」に改称〔。その後、天平宝字元年(757年)頃から「大和」に定められたとされる〔国史に改名記事がないため時期は諸説あるが、天平宝字元年(757年)の『養老令』施行からが有力視される(上田正昭『私の日本古代史(上)』(新潮選書)pp. 142-143)。〕。平安時代以降は「大和」で一般化した〔『日本歴史地名体系 奈良県の地名』(平凡社)大和国節。〕。 国名に使用される「ヤマト」とは、元々は「倭(やまと)、大倭(おおやまと/やまと)」等と表記して奈良盆地東縁の一地域を指す地名であった(狭義のヤマト)〔『和名抄』の大和国式下郡大和郷(おおやまとごう)、現在の大和神社(奈良県天理市新泉町)付近(『日本歴史地名体系 奈良県の地名』(平凡社)大和国節より)。〕。その後、上記のように「大倭・大養徳・大和(やまと)」として現在の奈良県部分を領域とする令制国を指すようになり、さらには「日本(やまと)」として日本全体を指す名称にも使用された〔『日本古代史大辞典』(大和書房)大和国項。〕〔上田正昭『私の日本古代史(上)』(新潮選書)pp. 140-142。〕(「大和」の項も参照)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大和国」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yamato Province 」があります。 スポンサード リンク
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