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大型内行花文鏡(おおがたないこうかもんきょう)は銅鏡の一種。 == 平原遺跡出土鏡 == 昭和40年(1965年)に確認され、発掘調査された平原遺跡の1号墓(平原弥生古墳)出土の、直径46.5センチメートルの大型の青銅鏡。 発掘した原田大六はその出土状況から、「故意に破壊されたのではなく、なんらかの事故によって、破砕した鏡片を集めて、四か所に分けて埋納したらしい」と主張している〔「原田大六『平原弥生古墳、大日孁貴の墓』」〕。 通常の内行花文鏡とは異なり、鏡背に銘字はなく、文様のみの銅鏡である。 その文様は、鏡背中心の鈕を囲んで八葉形の鈕座があり、その周囲に8個の弧形による内行花文、9本の同心円、外縁部を順に配す。鏡の縁には、縦に背面から正面に約1,500本の弧状線がある〔 井手将雪『倭女王 大日孁貴の墓』、1996。井手將雪『日本国家の起原と天孫降臨』、2014。〕 発掘者の原田大六はその文様から「内行花文八葉鏡」と名付けている。 平原遺跡での出土数は当初4面とされていたが〔 原田大六『実在した神話』、1966。原田大六『平原弥生古墳 大日孁貴の墓』、1991。〕、その後の調査の結果、従来4面に復元されていた鏡の破片が5面分の破片である可能性が指摘された〔『平原遺跡』前原市文化財調査報告書 第70集。〕。 原田は、出土した破片は「発見時の破片から完形状態の2面が復元でき、学術調査による発掘で獲られた破片からは、3分の2の状態の鏡しか復元できなかった」とする〔。鏡の中心部である鈕は4個である。これらのことから原田は「内行花文八葉鏡は4面である」と結論した。 大型内行花文鏡4面のうちの1面(12号鏡)には、他の破片との接合箇所が不明な、辺縁部の破片が含まれていた。奈良文化財研究所が、トーマス・チェース(元フリーア美術館保存科学部長)の協力を得てこの破片を調査した結果、鏡面の研磨方法が他の破片と異なることがわかった。また、鉛同位体比法や発光分光分析法による科学的分析の結果からも、当該破片は他の4面の大型内行花文鏡とは別個体に属するものである可能性が指摘された〔肥塚隆保「重要文化財平原遺跡出土品の保存修復」『奈良文化財研究所紀要2005』、p.44、奈良文化財研究所学術情報リポジトリ から検索可。〕。1990年の重要文化財指定時には、平原遺跡出土の銅鏡の員数は大型内行花文鏡4面を含め、計39面分とされていたが、上述の調査結果をふまえ、2006年の国宝指定時の官報告示では、銅鏡の員数は1面増えて「40面分」となっている〔平成18年6月9日文部科学省告示第74号〕。 直径46.5センチメートルとは漢代の寸法でいうと「二尺」となり、この直径では円周が「八咫」となる。 原田大六はこの円周「八咫」と「伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記」の八咫鏡の記述「八頭花崎八葉形」と類似の図象から、この銅鏡を伊勢神宮の御神体八咫鏡と同型の鏡であると主張している〔。 大型内行花文鏡のうち4面は伊都国歴史博物館で、また1面は九州国立博物館で常時展示されており、実物を見ることができる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大型内行花文鏡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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