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大垣市立墨俣小学校(おおがきしりつ すのまたしょうがっこう)は、岐阜県大垣市墨俣町墨俣にある公立小学校。 かつての安八郡墨俣町の唯一の小学校である。2006年(平成18年)3月27日、墨俣町が大垣市に編入されたことにより、大垣市の小学校となった。 卒業後は、安八郡安八町の安八町大垣市学校組合立東安中学校通学する。これは東安中学校が、かつての安八郡墨俣町と結村(現・安八町)の組合立で設置されたためである。 == 沿革 == * 1872年(明治5年) - 安八郡墨俣村に復練義校が設置される。 * 1878年(明治11年) - 墨俣村内で、復練義校の移設位置や長良川の渡船の設置位置などにより対立が激しくなる。その結果、墨俣村の一部(下町、中町、川町、寺町)と下宿村が復練義校から離脱し、文華学校を新設する。残った墨俣村(西町、堤町、本町)と二ツ木村、西橋村は復練義校に残り、墨俣学校に改称する。 * 1886年(明治19年) - 墨俣学校と文華学校が統合され、里仁学校となる。校舎は墨俣学校と文華学校を利用する。 * 1891年(明治24年) - 墨俣尋常小学校に改称する。 * 1891年(明治24年) - 濃尾地震で校舎が全壊する。翌年に仮校舎を現在地に築き授業を行う。1893年には現在地に新校舎が完成する。 * 1897年(明治30年) - 本巣郡祖父江村(現・瑞穂市)の生徒が通学を開始する。これは五六小学校(現・瑞穂市立牛牧小学校)が1896年の洪水で流出してしまい、仮校舎では生徒を収納しきれないための暫定処置であった。これは1909年まで行われた。 * 1898年(明治31年) - 墨俣尋常高等小学校に改称する。 * 1941年(昭和16年) - 墨俣国民学校に改称する。 * 1947年(昭和22年) - 墨俣町立墨俣小学校に改称する。 * 1976年(昭和51年) - 現在の校舎が完成する。 * 1976年(昭和51年)9月12日 - 台風17号の集中豪雨により長良川の堤防が決壊(9.12水害)、校舎の1階が水没する。校舎は避難場所となり、11日間休校する。 == 交通機関 == * 名阪近鉄バス「墨俣」バス停より徒歩5分 * 大垣駅前バスのりば(大垣駅南) 2番のりばより「岐阜聖徳学園大学」行き * 岐阜バス「墨俣」バス停より徒歩5分 * JR岐阜駅バスターミナル(岐阜駅北)6番のりばより「墨俣」行き * 名鉄岐阜のりば(名鉄岐阜駅西)1番のりばより「墨俣」行き 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大垣市立墨俣小学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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