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大塚周夫 : ミニ英和和英辞書
大塚周夫[おおつか ちかお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つか]
 【名詞】 1. mound 
: [しゅう]
 【名詞】 1. circuit 2. lap 3. circumference 4. vicinity 5. Chou (dynasty)
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

大塚周夫 : ウィキペディア日本語版
大塚周夫[おおつか ちかお]

大塚 周夫(おおつか ちかお、1929年7月5日 - 2015年1月15日)は、日本俳優声優ナレーター
劇団東芸、劇団俳優小劇場、芸能座などで活動し、最後は青二プロダクションに所属していた〔。東京アニメアワード2014「アニメ功労部門」を声優として受賞。
== 生涯 ==
東京都出身〔。父親と兄が彫刻家という芸術一家に生まれ、大塚が生まれつき体が弱いことを心配した母親と、戦前で情勢が悪化し未成年が繁華街を歩いていると問題になる中、放課後に新宿で遊ぶ口実を作りたいと考えた当時新宿高校に通っていた長兄の2人から、ダンスを習うように言われ4歳から新宿区内のダンス教室に通っていた〔。日本学園中学校・高等学校卒業〔当初は上野の美術学校に通うことになっていたが、新宿第一劇場で芝居の実演を見て面白そうだと感じ、役者を志すようになる〔。戦争が始まると両親は九州に移り兄は出征したため、大塚は親類に預けられた〔。戦争で長兄を亡くし、ダンスも中断せざるを得なかった〔。戦後ダンスを再開し、進駐軍が来たため多くのダンサーが必要となり、ダンサーのオーディションを受けて合格しキャンプや赤坂などのグランドキャバレーで踊っていた〔〔。社交ダンスからタップダンスまで会得していたが〔、練習のやり過ぎで両脚が膝関節炎になり、医者から「結核菌が入ると一生曲がらなくなるからダンスはやめた方が良い」と助言されたため俳優への転向を図り、たまたま劇団員を募集していた劇団東芸に入団する〔〔。タップダンスが得意で、時折スタジオや待合室で披露することもあった。
テレビ放送が開始される以前、ラジオの仕事もなかった頃は、大八車を引いて小学校をまわり、『桃太郎』や『浦島太郎』などの演劇の芝居だけが唯一の仕事だったという苦労が続いた時期があったと語っている〔。ラジオができてからは、NHKからガヤなどのエキストラとして仕事がくるようになったが、1年に1、2回ぐらいでギャラは700円だったという〔。その内民放ラジオが増えてきてラジオドラマなどの仕事がくると、やっと仕事が出来ると安堵し、嬉しかったと語っている〔。
36歳のとき、大塚が心酔していた演出家・俳優の早野寿郎から誘われて俳優小劇場に入団。その後テレビ放送が開始されると、中学時代にボクシングをやっていたことやジャズダンスを踊っていたその運動神経を活かして、スタントを交えたアクション映画の悪役の仕事に就く〔。特に丹波哲郎などに殴られて吹っ飛ぶアクションが上手く、殴った丹波が強そうに見えるということで、その演技に惹かれた丹波本人から出演を依頼されることが多かった〔。その折にたまたま映画館で見たリチャード・ウィドマークの凄みのある芝居に惹かれ、それからは映画館でウィドマークの映画を朝から夜まで観てその芝居を研究し、日本で吹き替え放送が開始されてからは、各局にウィドマークの吹き替えをやらせてもらえるように頼んで回っていた〔。そして日本テレビの外画部が「ああいいよ。そんなことを言ってきたのは初めてだ」と頼みを聞き入れ、1963年10月13日に放送された『襲われた幌馬車』でウィドマークの吹き替えを担当することになった〔〔。
1971年に俳優小劇場が解散し小沢昭一が立ち上げた芸能座に移籍した後も、俳優として舞台やテレビドラマに出演していたが、63歳のときに体力が低下していると感じて舞台を引退する〔。さらに当時の個人マネージャーに多額のギャラをだまし取られていたことが判明し、それをきっかけに長年演技ができないタレントと共演することなど気持ちよくできなかったテレビ出演も一切やめ、声優業に専念することを決意し青二プロダクションに移籍〔。以後、数々の洋画吹き替え、アニメで活躍した。
声の仕事と平行して、舞台では小沢昭一らとの『しみじみ日本・乃木大将』『国語事件殺人辞典』(どちらも井上ひさし作)などに多数出演。またテレビでは、NHK大河ドラマフジテレビ系ドラマの常連として知られた。
2015年1月15日、青二プロダクションの新年会終了後に帰宅するために乗った地下鉄内で倒れ、虚血性心疾患のため東京都新宿区の病院で死去〔〔〔。満85歳没(享年87)。その新年会に出席する前に収録され、同年1月25日にテレビ東京系で放送されたバラエティ番組『1位じゃなくっていいじゃない』のナレーション収録が最後の仕事となった。このナレーション収録について周夫が「ナレーションではなく芝居をしてやった」と語っていたことが青二プロダクションなどによって報告され〔、番組の最後には白バックに黒字で「この番組が最後の作品となったナレーター故大塚周夫さんのご冥福をお祈りいたします」と追悼メッセージが流された。また同番組には大塚明夫も声で出演しており、最後の親子共演となった〔。
葬儀・告別式は1月23日に青山葬儀所で催され、喪主は長男・明夫が務めた。弔辞は野沢雅子尼子騒兵衛(大塚が出演した『忍たま乱太郎』の原作『落第忍者乱太郎』の作者)が読み、その他に井上喜久子田中真弓平田広明森田成一山寺宏一田中理恵ら250人が参列した。戒名は付けなかったとされる〔大塚周夫さん葬儀、野沢雅子らが弔辞 日刊スポーツ 2015年1月23日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大塚周夫」の詳細全文を読む




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