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大威徳寺跡(だいいとくじあと)は、岐阜県下呂市御厩野にある仏教史跡。岐阜県史跡指定第67号。 == 歴史 == 鳳慈尾山 大威徳寺は、源頼朝が征夷大将軍となり、鎌倉幕府を開いた時、頼朝の寺院建立の命を受けた文覚上人がこの地に来て、霊感を得て建立したと伝わる。建てられた当時の規模は壮大なもので、約10haの土地に仁王堂礎石、本堂礎石、鐘楼堂跡、三重塔跡等が残り、丈5間4方(14.4m)の本堂の他、7堂12坊を有する天台宗の大寺院であった。しかし美濃国との国境にあったため、戦国時代の弘治2年(1556年)に美濃国苗木城主の遠山直廉が飛騨国の豪族三木氏と戦った威徳寺合戦時の兵火で焼失し、さらに天正13年(1585年)に発生した天正地震により壮大な大寺院は完全に壊滅した。 12坊の1つであった「多聞坊」(現在の中津川市加子母にあった)僧の慶俊は、郡上市の長瀧寺へ逃れ、そこで大威徳寺に関する記録を残し、現在はその写しが高山市の宗猷寺に現存している。創建当時の大威徳寺は壮大で格式も高く、諸国の武士が駕籠や馬で参詣する折も、堂前へ乗り入れが許されなかったため、麓の野に厩(馬屋)を設けて留めたと言われ、御厩野の地名もこれに由来するものと伝わっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大威徳寺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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