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大寧寺(たいねいじ)は、山口県長門市深川湯本にある曹洞宗の寺院である。山号は瑞雲山(ずいうんざん)。正式名は瑞雲萬歳山 大寧護国禅寺と称する。現在の住職は前山口県立大学学長の岩田啓靖。 == 歴史 == 応永17年(1410年)に大内氏一族で長門国深川城主の鷲頭弘忠(わしず ひろただ)が、石屋真梁(せきおく しんりょう)を開山に招聘して城内に創建したと伝える〔開山・開基については大寧寺サイト の「概要」「大寧寺ものがたり」による(2010年8月22日閲覧)。〕。当初の寺号は康福寺。なお、開基を周防・長門の守護大名大内教弘、開山を智翁永宗(ちおうえいしゅう)とする説もある。ただし、大内教弘は1420年の生まれで、年代的に合わない。以降、長門の中心寺院として栄えた。 政争に疲れて流浪の旅に出ていた元関東管領上杉憲実がこの寺で晩年を過ごし、文正元年(1466年)に病死している。 長享3年(1489年)出羽国寒河江氏13代知広が大寧寺に寺領を寄進し子院として澄江院を建立した。二親供養のためであったという。当時父の叔父にあたる全岩東純が大寧寺七世住職であった縁により行ったものである。 天文20年(1551年)に大内義隆が家臣の陶隆房の謀反に遭い、山口を脱出後にこの寺に逃れたが陶軍に包囲される。異雪慶殊(いせつけいじゅ)より戒名を授かった義隆は自刃し、寺も焼失した(大寧寺の変)。その後、毛利氏の庇護を受けて再建された。 寛永17年(1640年)、火災により本堂・山門などが焼失。延宝5年(1677年)に益田元尭により山門が再建され、文政12年(1829年)に衆寮〔衆寮とは - コトバンク〕を建替・増改築によって本堂も再建された。しかし、明治維新を経て、藩の保護がなくなると維持管理が行き届かなくなり、明治末期に山門は倒壊した。 開創600年記念事業として、平成22年(2010年)4月に歴史資料館「虎渓殿」が開館した。また、同事業に関連して山門再建にかかる費用を6億円と見積っており、再建のための浄財(寄付)を募っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大寧寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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