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大山 光隆(おおやま あきたか/みつたか)は、江戸時代初期の出羽国の武将。 == 生涯 == 山形城主で戦国大名の最上義光の六男に生まれる。最上氏は斯波氏の流れを汲む名門で、斯波氏は足利氏の一門にあたる。しかし光隆が生まれた頃には斯波氏は没落し、一方、最上氏は勢力拡大の途上にあった。 関ヶ原の戦い後、最上氏は山形藩57万石の大領主になり、光隆は大山城21000石を与えられる。父義光の死後は兄の家親が藩主になり、光隆は元和元年(1615年)27000石に加増された。この頃から最上家臣の中には不穏な空気があり、元和3年(1617年)の家親死後、家親の子義俊が藩主になると元和8年(1622年)最上騒動が勃発した。この時光隆は兄山野辺義忠にも甥義俊にも味方せず、中立の立場をとった。そして後に最上氏が改易されると、光隆は酒井忠世にお預けとなったが、翌年広島にて突如自害した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大山光隆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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