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大山 勝美(おおやま かつみ、1932年2月5日 - 2014年10月5日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。本名、大山 勝美(おおやま かつよし)。 鹿児島県出身。 1957年、TBSに入社。演出家・プロデューサーとしてテレビドラマ畑一筋に歩み『知らない同志』『岸辺のアルバム』『想い出づくり』『ふぞろいの林檎たち』を手がけ“ドラマのTBS”の全盛期を支えた。1992年、TBSを定年退職後はテレビ制作会社『カズモ』を設立し、代表取締役も務める一方で、『蔵』『天国までの百マイル』『長崎ぶらぶら節』等多くのドラマを送り出した。〔 == 来歴・人物 == 鹿児島県で出生し、両親とともに満州(現在の中国・奉天(現・瀋陽))に渡り幼少期を過ごす。大東亜戦争中に単身帰国し、鹿児島で終戦を迎える。 鹿児島県立鶴丸高等学校初代生徒会長。早稲田大学法学部を卒業後、1957年に東京放送(当時の社名はラジオ東京)に入社。同期には飯島敏宏、磯崎洋三、須子信仁、瀬口城一郎らがいる。以来ドラマの演出や制作一筋で務める。田宮二郎のテレビドラマ初主演作品『知らない同志』をはじめ、『岸辺のアルバム』『想い出づくり』『ふぞろいの林檎たち』などのプロデュース・演出を手掛け、久世光彦と共に“ドラマのTBS”の全盛期を築き上げた。1965年、女優の渡辺美佐子と結婚、一男をもうける〔。 その後、制作局次長、制作局理事を経て1992年に定年退職し、「株式会社カズモ」を設立。同時に代表取締役に就任。同じドラマ演出家でプロデューサーの堀川とんこうはTBS時代の後輩で、TBSを定年退職後数年間カズモに所属していた。 1994年に紫綬褒章、2003年に勲四等旭日小綬章を受章。 現在の民放(特に在京キー局)における過剰なまでの視聴率至上主義について批判しており、テレビ局の上層部について「民放といえども公器(電波)を借りて活動している社会的影響力の強い公共的企業だという原点に立ち返るべきである」と述べている。また、2003年に日本テレビ視聴率買収事件が発覚した際は日本テレビが日頃から在京キー局の中でも突出して厳しい視聴率ノルマを編成や制作スタッフたちに課している事について言及し、視聴率獲得を極度に扇った氏家齊一郎(当時日本テレビ会長)と萩原敏雄(当時日本テレビ社長)の両名に対して名指しで苦言を呈した〔KAZUMO Creators'voice:NTV視聴率買収工作事件について 〕。 10数年前に胆管ガンの手術を受け、6年後に再発。その後、腸閉塞となり、入退院を繰り返す。それでも仕事は続け、2014年9月26日にはBS-TBSの森繁久彌特番でコメント収録を行い、9月30日にはカズモの制作会議に出席。10月2日に腸閉塞で再入院。10月5日午前0時40分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去。享年83(満82歳没)〔大山勝美氏死去=演出家、テレビプロデューサー 時事通信・2014年10月8日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大山勝美」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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