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大山氏(おおやまし)は日本の氏族〔太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第1巻』(角川書店、1934年)1338頁参照。〕。 「新編姓氏家系辞典」などでは以下が見える # 常陸国の清和源氏 佐竹氏族 #羽前国の清和源氏斯波最上氏族 # 相模の藤原姓糟谷四宮氏族 # 薩摩の宇多源氏佐々木氏族 このページでは、1. 清和源氏佐竹氏族を解説する。 == 清和源氏佐竹氏族 == 常陸国の大山氏の本姓は源氏。家系は清和天皇第六皇子、 貞純親王の王子 、経基王を祖とする清和源氏。二代満仲の四男 頼信を祖とする河内源氏の傍系、常陸源氏 佐竹氏の傍流にあたる。即ち、河内源氏の二代 頼義の三男 、新羅三郎義光の子 進士判官義業が常陸国に土着した後、その子 昌義が佐竹氏を起こし、その16代 佐竹義篤の庶子 、左京介義孝がはじめて大山姓を名乗る〔太田亮前掲書(角川書店、1934年)1339頁参照。〕。 義孝の子、義通は正長元年(1428年)、高久義景、檜澤助次郎を討ち、翌2年(1429年)、小里の戦いに臨むという。その子 義兼は嘉吉年間(1441年 - 1444年)藤井、中原の地を加増されるといい、隠居して孫根氏を称するという。家督は弟 義定が継ぎ、子 義長ともども文亀2年(1502年)以降は佐竹義舜を助け戦うといい、その子 義成は天正2年(1574年)、一族の石塚義辰と争いを起こし、子 常義、孫 義有とともに頓化原にて石塚氏と闘うという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大山氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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