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大岡忠喜[おおおか ただよし]
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・ 岡 : [こう, おか] 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
大岡忠喜[おおおか ただよし]
大岡 忠喜(おおおか ただよし)は、江戸時代中期の旗本、大名。大岡忠房家5代当主で、武蔵国岩槻藩第2代藩主。諱は忠善とも伝わるが、誤記と思われる。 == 生涯 == 元文2年(1737年)、第9代将軍徳川家重の側用人を務めた旗本・大岡忠光の長男として生まれた。宝暦3年(1753年)、将軍家重にはじめて謁見する。翌宝暦4年(1754年)、菊間広縁詰めとなり、従五位下兵庫頭に叙任。宝暦10年(1760年)、父・忠光の死去により家督を継ぎ、岩槻藩主となる。同年、雁間詰めとなり、奏者番に就任。安永元年(1772年)、病を理由に奏者番を辞す。安永5年(1776年)、10代将軍徳川家治が日光社参のために往復とも岩槻城に宿泊した際、藩を挙げて対応した。安永9年(1780年)5月、岩槻藩の飛び地である安房国朝夷郡に清国の商船が漂流すると、郡奉行であった藩士の児玉南柯を派遣して対応している。生来病弱であったため、天明2年(1782年)には家督を長男の忠要に譲って隠居した。文化3年(1806年)に死去。享年69。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大岡忠喜」の詳細全文を読む
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