翻訳と辞書
Words near each other
・ 大岡川分水路
・ 大岡川村
・ 大岡川橋梁
・ 大岡忠世
・ 大岡忠俊
・ 大岡忠光
・ 大岡忠勝
・ 大岡忠吉
・ 大岡忠品
・ 大岡忠善
大岡忠喜
・ 大岡忠固
・ 大岡忠宜
・ 大岡忠恒
・ 大岡忠恒 (旗本)
・ 大岡忠恒 (曖昧さ回避)
・ 大岡忠恕
・ 大岡忠愛
・ 大岡忠政
・ 大岡忠敬


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大岡忠喜 : ミニ英和和英辞書
大岡忠喜[おおおか ただよし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground

大岡忠喜 : ウィキペディア日本語版
大岡忠喜[おおおか ただよし]

大岡 忠喜(おおおか ただよし)は、江戸時代中期の旗本大名。大岡忠房家5代当主で、武蔵国岩槻藩第2代藩主。諱は忠善とも伝わるが、誤記と思われる。
== 生涯 ==
元文2年(1737年)、第9代将軍徳川家重の側用人を務めた旗本・大岡忠光の長男として生まれた。宝暦3年(1753年)、将軍家重にはじめて謁見する。翌宝暦4年(1754年)、菊間広縁詰めとなり、従五位下兵庫頭に叙任。宝暦10年(1760年)、父・忠光の死去により家督を継ぎ、岩槻藩主となる。同年、雁間詰めとなり、奏者番に就任。安永元年(1772年)、病を理由に奏者番を辞す。安永5年(1776年)、10代将軍徳川家治が日光社参のために往復とも岩槻城に宿泊した際、藩を挙げて対応した。安永9年(1780年)5月、岩槻藩の飛び地である安房国朝夷郡国の商船が漂流すると、郡奉行であった藩士の児玉南柯を派遣して対応している。生来病弱であったため、天明2年(1782年)には家督を長男の忠要に譲って隠居した。文化3年(1806年)に死去。享年69。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大岡忠喜」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.