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大岬丈右衛門 : ミニ英和和英辞書
大岬丈右衛門[もん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さき, みさき]
 【名詞】 1. cape (on coast) 
: [だけ, じょう]
  1. (prt) (uk) only 2. just 3. as
: [みぎ]
 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing 
: [もん]
  1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons 

大岬丈右衛門 ( リダイレクト:大岬音右エ門 ) : ウィキペディア日本語版
大岬音右エ門[おおみなと おとえもん]
大岬 音右エ門(おおみなと おとえもん、生年不明 - 1814年9月16日文化11年8月3日〉)は、秀ノ山部屋に所属した元力士〔http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3200&l=j〕。大岬音右衛門との表記もある〔大関伝 75人目~91人目 相撲評論家之頁のHP。85人目 大岬 音右衛門を参照。〕。
本名は徳田と伝わるが不明〔。身長191cm、体重は不明〔。陸奥国仙臺(現在の宮城県仙台市)出身〔〔〔出羽国村山郡(現在の山形県寒河江市)出身という説もある。〕。
最高位は東大関
1801年11月場所で、「仙臺」頭書の関之戸音右エ門で看板大関として付出された〔。看板大関にありがちな土俵入りのみを行う力士とは違い、本場所の相撲も取った。文化年間に入ると看板大関の地位を辞退して、他の力士と変わらない身分で相撲を取るようになった。幕内では勝率が高く、1810年10月場所で7勝2敗1の優勝次点(優勝相当成績は雷電爲右エ門で7勝1敗1休1分)の好成績を挙げた〔文化10年秋場所 大相撲星取表のHP。尚、雷電にとってはこれが生涯最後の優勝(28回目)だった。〕。1814年4月場所で12年ぶりに大関に返り咲いた〔が、初日の日下山(ひげやま)戦に勝利したのみで残りを休場した〔文化11年春場所 大相撲星取表のHP〕。そしてこの場所終了後の1814年8月3日に現役中のまま死去した。抱えは死去までに、仙台藩(1801年11月 - 1803年5月)→ 高松藩(1803年10月 - 1807年11月)→ 久留米藩1808年10月 - 1814年4月)と変わった。
幕内通算 17場所 57勝24敗3分1預6無70休の成績を残した。
改名歴は5回ある:関之戸 音右エ門 → 関ノ戸 音右エ門 → 大見崎 音右エ門 → 大岬 音右エ門 → 大岬 丈右エ門 → 大岬 丈右衛門〔。
== 出典 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大岬音右エ門」の詳細全文を読む




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