翻訳と辞書
Words near each other
・ 大島信雄
・ 大島健一
・ 大島健伸
・ 大島僚太
・ 大島優子
・ 大島優子 (曖昧さ回避)
・ 大島優子 (演歌歌手)
・ 大島優希
・ 大島優磨
・ 大島光俊
大島光成
・ 大島光政
・ 大島光朝
・ 大島光義
・ 大島公一
・ 大島典子
・ 大島力
・ 大島加代子
・ 大島勝
・ 大島北インターチェンジ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大島光成 : ミニ英和和英辞書
大島光成[おおしま みつなり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

大島光成 : ウィキペディア日本語版
大島光成[おおしま みつなり]
大島 光成(おおしま みつなり、永禄2年(1559年) - 慶長13年11月16日1608年12月23日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。大島光義の長男。兄弟に光政光俊光朝、養子吉綱
美濃国出身。父・光義と共に織田信長に仕えた。本能寺の変後は丹羽氏に仕えるが、丹羽長重が減封されると、豊臣秀吉の家臣となる。小田原征伐などにも従軍、のち美濃国蓆田・尾張国愛智・中嶋郡所領を宛行われている。関ヶ原の戦いでは、徳川家康に従って会津攻めに従軍したが、弟の光政、光俊が西軍に属して伏見城攻めに参加した経緯もあり、1万石の加増にとどまっている。
家督を継いだ際に、父からの遺領をすべて相続はせず、自身は7500石余を領し、弟光政に4710石、光俊に3250石、光朝に2550石と分知している。
慶長13年(1608年)11月16日、死去。
== 参考文献 ==

*『寛政重修諸家譜

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大島光成」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.