翻訳と辞書
Words near each other
・ 大島南インターチェンジ
・ 大島南央小学校
・ 大島南小学校
・ 大島博光
・ 大島又彦
・ 大島友之允
・ 大島友治
・ 大島史洋
・ 大島司
・ 大島吉之助
大島吉綱
・ 大島和久
・ 大島和子
・ 大島商船
・ 大島商船高専
・ 大島商船高等学校
・ 大島商船高等専門学校
・ 大島喜一郎
・ 大島嘉仁
・ 大島城


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

大島吉綱 : ミニ英和和英辞書
大島吉綱[おおしま よしつな]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 

大島吉綱 : ウィキペディア日本語版
大島吉綱[おおしま よしつな]

大島 吉綱(おおしま よしつな、天正16年(1588年) - 明暦3年11月6日1657年12月10日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将槍術家。大島流槍術の祖〔『和歌山県史』〕。横江清元の子。通称は新八、雲平、伴六。外祖父大島光義の養子となる。
== 生涯==
の出身。初め加治田衆の義兄弟大島光政と共に行動する。光政の家臣で槍術の達人である湯浅新六の弟子入りし、その後諸国を廻って槍術を学ぶ。
加藤清正に招聘され、文禄・慶長の役に従軍。前田利長に従い大坂冬の陣で活躍。大番の役職を与えられる。戦後3度浪人して修行の旅に出た。のちに柳生宗矩の推挙で紀伊和歌山藩徳川頼宣の槍術指南役を受けて仕えた(加藤清正の娘で頼宣正室の本浄院の繋がりもある)。大島流の開祖となり、隠居後、安心と号した
明暦3年(1657年)70歳で死去。
==逸話==
* 師の湯浅新六が隠棲し、道牧と号した後も、教えを乞う(師匠と弟子の関係で、新六より一字を与えられ、新八、伴六と名乗った)。
==参考文献==

* 『丹羽家譜伝』
* 『寛政重修諸家譜
* 『丹羽歴代年譜付録』
* 『和歌山県史』

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大島吉綱」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.